ぬばたまの 闇にも色は あるものと 出で来ぬ人は 身をこそ見ざれ
*今、ツイッターでの短歌は、スランプの真っ最中です。インスタの方はそうでもないのですがね、ツイッターで詠もうとすると、何だか歯切れが悪い。思うようにいいものが詠めません。
馬鹿がこの存在の活動を邪魔しているからです。ツイッターでのわたしたちの活動が痛いらしい。ですから、大火のつぶやきも、以前ほど歯切れがよくありません。
この項を書いているのは6月10日ですから、これが発表される頃にはどうなっているかわかりませんが、今はとにかく詠むのにとても苦しんでいます。
こういうことはよくあることです。馬鹿というのは人の邪魔ばかりしていますから、他人が何かいいことをしていたり、いいことになっていたりすると、吸い付くように飛んできて邪魔をするのです。
自分はまだ何もいいことをしていなくて、全然いいことにならないからです。嫉妬に振り回されるものは悲しい。結局人を邪魔することしかほとんどやらなくて、苦いことばかりになるのに、やめられない。
闇の中にも色はあるものと、そこから出てこないものは、自分の姿も見ないのだ。
全部を言わなくてもわかりますね。馬鹿はいつでも、現象的刺激に夢中になって、自分という者を見ないのです。それでいつも馬鹿なことばかりしている。
人の邪魔ばかりしているから、自分が醜く小さくいやなものになるのだと、何度言われてもわかろうとしない。人の邪魔をして人がいやなことになるのを楽しみにして、そんないやなことばかりしている。
そんな自分がいやで、また人が妬ましくなり、人の邪魔をする。
際限のない回転地獄です。
ここから脱することができない限り、馬鹿は苦しみ続ける。
今わたしたちはスランプの真っ最中ですが、馬鹿の目的はこんな状況に嫌気がさしてわたしたちが活動をやめることです。馬鹿は他人が自分よりいいことになるのがいやですから、他人がいいことをしていれば邪魔して必ずやめさせようとするのです。
ですが、わたしたちにはわかっている。続けることをやめさえしなければ、トンネルの出口をぬけ、また新たな段階が始まることを。
スランプもいい経験です。自分を見返す機会になる。いろいろあがきつつも、楽しんでみましょう。