着重ねて 見えぬとしたき おもひでの われのあかしを わが影に見る
*記憶の中に消したいものがある人間というのは、たくさんいることでしょう。
人生とは失敗の連続ですから、馬鹿なことを全くしたことのないものなどいない。何も知らなかった子供の時にしたことすら、一生忘れられないことがある。
馬鹿なことをしたのが自分であることが苦しい。それなら、それをとりもどすためにそれなりのことをすればよいのだが、サボリ癖のある人間はそんなことすらせずに、怠惰な忘却の中に逃げる。
酒でも飲んで憂さを晴らせばいいなどとね。しかしそれで記憶は消えはしない。ことあるごとによみがえってきて自分を苦しめる。そのたびに酒が深くなり、人生がどんどん暗い方に流れていく。
いろいろなものを自分に着せ重ねて、見えないものにしたい記憶の中にある、それが自分のしたことだというあかしを、人はいつも自分の影に見る。
それは永遠に消えはしないのだ。
まじめにやっていればいいものを、ついいやなことをして自分にいい目を見さそうとして、みっともない失敗をしてしまったなどということは、たいていの人が経験しているものだ。しかしそれから逃げて自分をごまかし始めると、長い苦しみが始まる。
自分が悪いのではない、他の誰かが悪いのだにしてしまい、人に嫌なことばかりするようになり、どんどん嫌な記憶が増殖していく。そしてしまいには、悪いことをする方が正しいのだにしたくなる。逃げている限り延々と続いていく負のスパイラル。
何もかもは、自分がいやなものになるのがいやだ、から始まったのだ。神のように真っ白でありたい。それなら何も苦しまずに済む。そのために、自分の影を見るあらゆるものを馬鹿にする。とりもどすための痛い苦労などしたくはない。
人間の闇は深いが、根底にあるものはいかにも簡単だ。
何もしたくはない、という、凡庸と怠惰の、自分の癖なのです。