あの泣き虫の姉が、今日は涙を見せなかった。
久しく会っていなかった弟が、なぜか目の前に座っている。
「びっくいした。おうち、うちの89歳の誕生日ば祝いに来てくれたんね」
恐らくそんな驚きだったろう。
驚きが涙を抑え込んでしまった、そうなのに違いない。
僕にしても、姉の誕生日を失念していたから
姪が「ママ お誕生日おめでとう」と花束を渡したのを見て、
はっとなり「おめでとう」と続けるしかなかったというのが実際だった。
姉と僕、2人に仕掛けた姪の心温まるサプライズだったのである。
何せ4年ぶりだ。
コロナ禍によって長年療養生活を続けている
恩ある姉を見舞うことさえかなわなかった。
すでに兄3人、姉1人を亡くし、
末っ子の僕に残されている血の繋がった家族は、
8歳半違う長女であるこの姉だけだ。
しかも、僕をまるで母親かのように慈しんでくれた人である。
見舞いたくとも出来ないもどかしい時が続いてきた。
「やっと15分だけ面会することができるようになりました」
待ち望んだ姪からの知らせだった。
思いを乗せたバスが高速道路を長崎へと急ぐ。
ようやく姉が入所している特養老人ホームで姪と落ち合った。
そして、車イスを押されて面会場所へやって来た姉……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/46/d5b629a538de294b8686f4285e1060d6.jpg)
ああ、もどかしい。
姉との間を遮る感染防止用のパーティションが何とももどかしい。
与えられた面会時間はわずか15分間なのに、
これが姉に近寄ることを許さない。
言葉を交わすのも今は難しくなっており、
姪、あるいは介護の人を介して何とか話をするしかないから、
それだけ15分間が短くなってしまうのにだ。
相変わらず音楽が好きで、
You TubeでEXILEやDA PUMP、
あるいは嵐などを追っかけているという。
89歳にもなるお婆さんが、と笑ってしまうが、
一方では嬉しくもあり、その元気さに安心する。
ついでに、ミュージックスクールの発表会で
僕が歌っている動画を見せようとすると、
パーティションの隙間から手を伸ばしてスマホを受け取り、
じっと見入っている。そして、終わると拍手をしてくれた。
姉はまだちゃんと感情を表現できる。そのことが何より嬉しかった。
やるせない15分を終えた。
部屋に戻る姉が手を差し出す。僕もそれに応え、
やっと握り合った互いの手は消毒液で湿ってはいたが、
その温もりはやはり姉弟のものであった。
(2月1日アップしたものの一部を抜粋し、書き換えたものです)
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