Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

青春

2020年05月05日 05時59分39秒 | エッセイ
「青春」という時があった。
大昔のことである。
それは、喜びも、怒りも、悲しみも、そして楽しさも、
いかなる理屈を並べ立てる暇さえ与えず、
それこそ瞬間的に発露し、体を突き動かした。
人前はばからず泣き叫ぶことさえも……。

    今、この「青春」というものに何だか惹かれる。
    あれは一体なんだったのか。
    なぜ、ああも感情的になれたのか。多感な自分であったのか。
    今、あのような喜怒哀楽を覚えることがない。どこかへやってしまった。
    80歳が近くなり、なぜか懐かしい。
             
NHKのBS放送で、リチャード・ギア主演の
「愛と青春の旅だち」という映画をやっていた。
以前、と言ってもどのくらい前になるか。
1989年公開だから50歳に近い年齢の頃、
当時はまったく興味を覚えなかった映画である。
正直に言えば、この映画のことは見てはいないが前から知っていた。
それはジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズが歌う
主題歌が気に入り、よく聞いていたからである。

    その映画を見てみようという気になったのは、
    やはり「青春」という言葉に惹かれたからだった。
    内容はパイロットを目指し海軍の士官養成学校に入った若者が、
    鬼軍曹のしごきに耐え、一方では女性との愛の曲折を経て、
    めでたくハッピーエンドとなる、まさに青春映画だった。
    映画を見て、やはり昔の感性はもう失くしてしまったのだと思った。
    物語もこちらの読み通りに展開するから、少しも喜怒哀楽に浸ることがない。
    そんな自分がいささか寂しかった。
                  
では、喜怒哀楽の情をすべて失くしたのかというと、もちろんそうではない。
昔、三益愛子という女優さんがいた。
さまざまな事情で我が子と離れ離れに暮らすといった悲劇の母親を主人公とする、
いわゆる「母もの」映画に10年間で33本も主演し、観客の涙を絞った女優さんである。
戦後のことであり、当時はこちらが幼く、そうした感情を持ち得なかったのだが、
今その映画を見たら、おそらく涙がとめどなく流れることだろう。
実際、テレビドラマでちょっとした親子ものがあれば、涙流すことがある。

    喜怒哀楽の感情を失くしてしまったわけではない。
    年寄りには、積み重ねた年齢なりの、
    歩いてきた道なりの染み方をした、ものの感じ方がある。
    感性をすべて失くしたわけではない。
    「青春」の頃とは、感じ方の位置が変わったに過ぎないのだ。


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