昭和20年代の半ば頃の荻窪の家は、裏の窓を開けると、必ずと言っていい程、雨の時には、カタツムリが、数匹、木の幹に、ゆっくりと、這うようにいたもので、それを、何気なしに、眺めていると、子供心に、何か、ゆったりとしたモノを感じたものである。ザリガニ取りをして遊んだ田んぼや、蝶や虫をとった雑木林も、いつしか、開発で、失われ、やがて、「セミを取らして下さい」と、唯一言、言うだけで、門を開けて、勝手に、近所の庭にわけいり、長い竹の物干し竿の先に母の手製のセミとり用の袋をつけて、夢中で、セミを取ったりしたが、それらの松の木や、桜の樹は、根こそぎ、相続税の支払いのために、コンクリートの賃貸マンションに、変わってしまった。そして、鍵の掛かった門と、訪問販売禁止のステッカーに、ガードされた街に、変容してしまった。そんなときに、本当に、久しぶりに、雨上がりの夕方、カタツムリに、出会った。そのゆっくりした足取りと、時間を超越したような何とも言えないスロー・テンポに、ついつい、魅せられてしまった。多分、今までにも、我が家の小さな庭にも、住み続けていたのであろうが、その証拠に、時々は、ナメクジの這った後のような光った曲がりくねった軌跡を、見ることがあったが、、、、。忙しく、毎日毎日、タイム・マネージメントの渦中で、生きていた自分には、出会う時間がなかったのかも知れない、、、、、、、、。