「一寸、左がかった京大生」をもじったと謂われているペンネームだが、今や、若い人達には、円遠いものになってしまった「山村工作対」への参加や、敗戦による「廃墟空間」を、常に、原点として、「国家の滅亡後の日本人のあり方」を、ライフワークにしてきた作品は、我々、団塊の世代には、どちらかというと後半に、映画化された作品(日本沈没)・(首都消失)・(復活の日)等よりも、初期作品の(ご先祖様万歳)・(地には平和を)・(日本アパッチ族)・(果てしなき流れの果てに)等の方が、個人的には、面白く、その発想も、後の作品に、連なっていく原点を感じる。「憂鬱世代」の我々には、京大時代の友人である「高橋和巳」との60年代後半の交流や、開高健、三島由紀夫、との化学反応等、今にして思うと、淡路神戸の震災や、今回の東日本大震災も、日本・日本人は、どこへ、行くのか?コスモポリタニズムに向かって、まるで、ユダヤ人のように、なっていくのか?(日本アパッチ族)のエピローグに、同氏は、こう記している、「いささかも回顧、復古的見地からでなく、滅び去った日本という古い,優れた国の、文化、伝統、政治情勢、風習などを、できるだけ詳しく研究し,公にするつもりのものである。・・・・(略)・・・・いうまでもなく、目下、我々は、それを創造中であるが、しかし、それを比較すべきものをもたなければ、過去より優れ、独自なものであることを証明しうるか?我々は、一部の反動的復古主義者や、又一部に現れた人間への逆行現象を気にする余り、過去を恐れてはならない。それに蓋をし、現代の優越のみを誇示するのは、甚だ。妥当性を欠くのではないか?我々は、アパッチ族(注:新種の鉄を食べる種族)の知性を信頼すべきである。」 10代後半から、20代前半にかけて、影響を受けたこれらの作家達も、今や、鬼籍に、皆、入ってしまった。もう一度、読み返す中で、我々の世代としての責任は、本当に、果たしてきたのであろうかと、自問自答せざるを得ない。焼跡闇市派が、又、一人、作品だけを残して、逝ってしまった。急激な円高の中で、溶けてゆく日本経済と、壊れかけてい行く政治体制の中で、日本は、どこへ、向かってい行くのだろうか?