小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

=「スポーツのチカラ」=なでしこジャパンに透けて見えるもの

2011年07月15日 | 社会戯評

今の若い人達は、知らないかも知れないが、「フジヤマのトビウオ:水泳の古橋廣之進」「世界卓球選手権王者:荻村伊知朗」「プロレスの力道山」「フライ級世界チャンピオン:白井義男」など、戦後の混乱期に、スポーツのチカラで、ズタズタに、引き裂かれた日本人のプライドを、世界に、高らかに、その復興を印象づけたことは、私の子供心にも、しっかりと記憶されている。ナチスのゲッベルツが企図した国威発揚のベルリン・オリンピックや、戦後復興の象徴としての東京オリンピックや、或いは、米国駐在時代に、見たロスアンゼルス・オリンピックの商業主義への傾注など、おおよそ、国威発揚や、ファナティックな民族主義には、どうも、高校野球も含めて、好きにはなれない。「USA,USA,」という蝉の鳴き声に似た応援も、又、「ニッポン、チャチャチャ」という声援にも、どうも、なじめない。ワールド・ベースボール・クラシックの優勝も、チームや選手が称えられこそすれ、国が、何も、偉いわけではなかろうにとも思う。なでしこジャパンの決勝進出も、確かに、海外で、活躍している選手の技量に、裏打ちされたもので、これは、スポーツ全般に、言えることだが、今や、「グローバル・コンペティション」を抜きには、ゴルフも、テニスも、野球も、柔道も、相撲ですら、その存在意義は、語れない。逆説的に言えば、なでしこジャパンの活躍は、混迷する政治と経済、震災からの復興と円高・デフレ状況からの脱却とを、「スポーツのチカラ」を通じて、国威発揚とまではゆかぬが、同時に、おしすすめられないかという為政者の魂胆をそこに、透けて見えてしまうのは、穿った見方か(?)やたら、「元気を貰った」とかいうコメントは、迷惑千万である。今や、この国は、その裏側で、世界的な地位の低下は、否めないのだろうか?