【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

万全/『最強ウイルス』

2008-09-08 21:26:28 | Weblog
 日本人は「万全」ということばが大好きです。万全の準備・万全を期する・万全の注意を払う……もちろん手抜きよりは万全の方が好ましいでしょう。しかし、緊急事態のとき(たとえばトリアージが必要となるような大災害時など)に「自分には万全の扱いをして欲しい」と求めることは、「他人には手を抜け」と要求していることになります。だって手が足りない(動いている人はてんてこまい)状況なのですから。あるいは「自分には万全の扱いをしろ」と要求しながら忙しく働いている人につきまとうのは、「本来なら助かる他人を殺しても良いから、自分の相手をしろ」と要求していることになります。
 さて、こういった「自分には万全」を求める人に対する万全の対策って、なんでしょう?

【ただいま読書中】
最強ウイルス ──新型インフルエンザの恐怖』NHK「最強ウイルス」プロジェクト、NHK出版、2008年、1000円(税別)

 2008年1月に2夜連続で放送された番組の、ドキュメンタリー部分の取材記録を本にしたものです。
 2008年4月15日のWHOのまとめでは、2003年以降H5N1型鳥インフルエンザの人への感染は、世界14ヶ国で380人、死亡率は60%超です。特にインドネシアでは、132人が発症し、80%が死亡しています。この鳥インフルエンザウイルスが突然変異を起して、「トリ→ヒト」そして「ヒト→ヒト」への感染性を獲得したら、全世界で爆発的な大流行を起す可能性があります。パンデミックです。

 スイスは全国民分のワクチンをすでに備蓄しています。オーストラリアは一種の鎖国体制を敷くことで時間を稼ぎ、その稼いだ時間の間に特約を結んだ会社からワクチンを大量に輸入する計画です。
 アメリカも方針は明確です。パンデミックは国家安全保障上の問題と位置づけ、感染爆発のシミュレーションを元に対策を立てています。対策の柱はウイルス薬・ワクチン接種(パンデミックワクチンまたはプレパンデミックワクチン)・学校閉鎖・隔離と旅行制限。ただ、最後の「隔離と旅行制限」はこれ単独ではあまり有効ではありません。感染拡大のスピードをほんの少し鈍らせるだけです。もっとも有効なのはワクチンですが、時間と金と技術と卵が必要です。米政府はパンデミック対策に71億ドルの予算を組み、パンデミック開始から半年以内に全国民3億人にワクチンを供給、という目標を上げています。実際に可能かどうかは私にはわかりませんが、ここまで立ち向かう姿勢を示す政府の態度には感服します。
 アメリカ金融界のシミュレーションも紹介されます。パンデミックが起り社会が混乱、インターネットもアクセス急増で麻痺状態、企業の欠勤率は49%、という条件ですが、問題点が続出です。たとえばATMは稼働しなくなります。現金引き出しが増えますが、紙幣の輸送がストップしているのです。生命保険会社にも大きな影響が出ます。支払いが増えるのに証券価格は下落するのですから。つまり、企業が業務を継続するためにはパンデミックに特化した計画を持っていなければならないのです。国が主導してこういった問題点を洗い出しているのが、アメリカです。さて、日本は?
 「世代」の問題もあります。アメリカ政府は2005年に「ワクチンは高齢者優先」の方針を発表しました。「高齢者の方が死にやすいから」が理由でしょう。それに対して反論の論文が発表され、高齢者からも「孫の方を助けて欲しい」という声が多く寄せられました。その結果2007年には乳幼児や若者優先に方針が改められ、さらにパブリックコメントやアンケートが引き続き行われています。日本だったら「人体実験がすんでからまず政治家や官僚を助け、あとは“公平”を旗印に適当に」でしょうね。「自分は助かりたい」「シビアな政治責任からは逃れたい」の両立です。まあ、わかりやすいと言ったらきわめてわかりやすいのですが。

 では日本は? 国は行動計画を立て実際の対策は地方自治体、ということになっていますが、国の戦略がなく、地方の具体的なバックアップ計画もありません。
 本書には品川区のシミュレーションが載っています。患者発生から6日で、0~15歳の感染者は400人を越えますが、小児科医は10人。区内最大の病院、昭和大学病院の小児科は45ベッド。また、流行のピーク時には1日に6400人の入院患者が発生すると予想されています。病院に現在入院している人を追い出してインフルエンザを優先しますか? その場合、追い出す論理的・法的および倫理的根拠は? 人工呼吸器は明らかに不足します。ではどの人を優先しますか? その根拠は? ここで用いるのは「医学」ではありません。(医学では、人工呼吸器が必要・不必要は判定できますが、「この人にはつける」「この人にはつけない」「つけたけど外す」は判定できないのです。それはあらかじめ社会の中で議論をするべき事項です。こういう重大な問題を医者にだけ押しつけるべきではありません。無責任な人間は、人に押しつけてあとで文句だけ言えばいい、と高をくくっているのかもしれませんが。

 欧米ではパンデミックは「近い将来必ず起きること」として扱われ対策が検討されているようです。日本ではパンデミックは「起きるかもしれないこと」でしかないようです。だから、真剣みも戦略も欠けるのでしょう。