【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

かく/『さよなら僕の夏』

2008-09-23 18:15:49 | Weblog
 文字を書くことで何かがちゃんと伝えられると思う人は、人生を楽観視しすぎています。書いた文字を読んだ人の中に世界を描くことができた時、はじめてその文字は何かをちゃんと伝えることができます。つまり、「書く」だけではなくて「描く」ことが「書く(描く)人」には求められるのです。

【ただいま読書中】
さよなら僕の夏』レイ・ブラッドベリ 著、 北山克彦 訳、 晶文社、2007年、1600円(税別)

 名作『たんぽぽのお酒』の翌年のお話です。ダグラスは13歳(もうすぐ14歳)になっていますが、著者は前作を書いてからこの作品を仕上げるのに55年かかったとあとがきで書いています。ただ、たった「1年」の差ですが(あるいは「55年」もの差ですから)、その内容はちょっと色合いが違っています。
 たとえば冒頭……
「静かな朝だ。町はまだ闇におおわれて、やすらかにベッドに眠っている。夏の気配が天気にみなぎり、風の感触もふさわしく、世界は、深く、ゆっくりと、暖かな呼吸をしていた。起き上がって、窓からからだをのりだしてごらんよ。いま、ほんとうに自由で、生きている時間がはじまるのだから。夏の最初の朝だ。」(たんぽぽのお酒)
「息を吸ってとめる、全世界が動きをやめて待ちうけている。そんな日々があるものだ。終わることをこばむ夏。
 そのときあの花々は道にそってどこまでもひろがり、さわられると、秋の錆びをまきちらす。どの通りも。まるでぼろぼろのサーカスが通りすぎて、車輪が回るたびに昔の小道がくずれたかのよう。」(さよなら僕の夏)

 『たんぽぽのお酒』では、生命の躍動と歓喜がまず歌いあげられますが、そこにいつの間にか「死」が忍び寄りました。季節は初夏から晩夏まで。
 「さよなら僕の夏」は、ちょっと暗いスタートです。季節も晩夏から始まります。

 ダグラスは相変わらず弟のトムや友人たちと町や峡谷を走り回って遊んでいますが、それを苦々しく見ている人もいます。そしてその“対立”はいつしか“戦争”へと変貌します。『たんぽぽのお酒』には目次はありませんでしたが、本書には南北戦争の戦場の名前が目次に並んでいます。本文にも南北戦争に関連する記述が見えます。1929年というとアメリカではまだ南北戦争は生々しい記憶だったのでしょうか。
 ダグラスたちが戦う“敵”は、自分たちを大人に変えてしまう「成長」、それから老人たち、最後には自分たちを成長させる“時”の象徴としての大時計。まるで『トム・ソーヤーの冒険』でトムが企む悪戯のようなノリで、少年たちは“戦い”を始めます。

 私は現在、ダグラスよりは彼らの“敵”となった老人の方に近く位置しています。かつては“ダグラス”だったこともあるんですけどね。で、この位置からだと両方が見えるだけにいろいろ思うのです。特に著者はなぜこの本を書いたのだろう。著者の目には一体どんな世界が見えているのだろう、と。すぐれた作家はおそらく、自分の“目”を自分自身から離して使うことができているはずです。他人の目を通して、あるいは架空の存在を通していろいろなものを見ているはず。著者は年を取ってから自分の人生を振り返った時、自分の“目”を“ダグラス”に置いて“振り返っている自分の姿”を見ているのかもしれません。

 ダグラスがケーキを差し出した時の不思議な体験、そして恋……成長することも悪いことばかりではないよね、ダグラス君。