礼節を知らしめるためにいろいろな方法があるでしょうが、「衣食足りて礼節を知る」タイプの人には「礼節を知れ」と説教するよりも黙って「衣食を足らしめる」方法がもっとも良い、ということになります。「衣食が足りないと礼節を知らないとはなんたることか。人間とはなあ……」などと説教したくなる人もいるでしょうが、ここで一番大切なのが(説教をすることではなくて)「礼節を知る」ことであるなら、そのために一番有効な方法論を捨てて「説教」に走るのは単に「(礼節を知らしめる、という)目的を達成したくない』と主張していることになります。人はそれぞれの目的を持って生きていますから「一生他人に説教をすることで生きていきたい」人の邪魔を露骨にする気はありませんが、やっぱりうるさいのはイヤだなあ。「目的を達成しない」ことで一人悦に入っている姿を見るのも、イヤだなあ。
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語III 勝者の混迷』塩野七生 著、 新潮社、1994年
カルタゴは700年の歴史を残して滅亡しました。そのときローマは建国600年。「盛者必衰」の予感を抱くものもいたはずです。ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスが政治的な攻撃によって不遇な晩年をおくったことに、私はその兆しを見ます。
常勝だったはずのローマ軍は弱体化してきます。その原因は社会が豊かになり格差が広がったこと。ローマの「直接税」は軍役ですが、それを果たすことができない貧困層が増えてきたのです。ティベリウス・グラックスの農地改革は、無産者に農地を与えることでローマ市民層を健全化し社会不安を解消しローマ軍団の質量を改善しよう、というものでした。ところが元老院は、その動きを自分たちの権威に対する挑戦と見ます。グラックスは護民官選挙の場で撲殺され、さらにはグラックス兄の思いを継ごうとした弟も殺され、以後百年間は「ローマの内乱」となります。「改革派」と「抵抗勢力」の争い、と言ってしまうとあまりに単純化のしすぎでしょうけれど。
ここで私はちょっと考えてしまいます。執政官にしても護民官にしても任期は1年です。しかも原則として連続しての再任は禁止。これは権力の集中を防ぐ効果はありますが、そのぶん「1年の間に“結果”を出さなければ」と選出された人に焦りを強いることになります。1年では国に関して大した仕事ができないのは、最近のどこぞの首相を見ても明らか。ところが「スター」を嫌う元老院はずっとその座にいて(足を引っ張る)チャンスを窺い続けることができます。これって不公平ではありませんか? でもまあ、決まりは決まり。ローマの改革を元老院(つまりは「体制」)の外から行おうとしてグラックス兄弟は失敗しました。ではその次は?
登場したのはガイウス・マリウスです。平民の軍人上がりで執政官となった彼は、志願兵制度を導入し、無産者に対して兵士になる道を開きます。それはすなわち失業者に「一人前のローマ市民になる道」を示したことになりました。それによって、志願兵だけではなくて、徴兵されずにすむことになった底辺の市民たちからも、ガイウス・マリウスは強い支持を得ることになります。(ちなみにその子が、ガイウス・ユリウス・カエサルです) 後世それは「私兵化」と呼ばれますが、著者は「義理人情」と言います。どちらにしても、「ローマ」ではなくて「将軍」に従う軍団ができてしまったのです。
ローマにローマ兵が進軍することが続きます。最初はスッラ。次はガイウス・マリウス。そしてまたスッラ。戦場ではなくて、元老院が血にまみれます。スッラは任期無期限の独裁官に就任し、その政敵の息子カエサルはオリエントまで逃げることになります。ただし、スッラは改革をどかんどかんと進めるとあっさり独裁官を辞任しました。ローマの共和制を復興するための改革だから独裁官は邪魔になる、ということで「筋を通した」と著者はスッラを高く評価しています。
第I巻から著者が折に触れ「パトローネス」と「クリエンテス」(パトロンとクライエント)の関係について述べ続けている意味がこの巻あたりからやっと私には見えてきました。これはローマ内部の人間関係の主軸であるだけではなくて、ローマという国の外交関係の基盤でもあったのです。表に見える制度ではなくて、それを支える人間関係に注目してローマ史を著者は描く、だから「ローマの物語」ではなくて「ローマ人の物語」、というわけなのでしょう(もちろん「列伝」だから「ローマ人」ということもできるでしょうが)。
【ただいま読書中】
『ローマ人の物語III 勝者の混迷』塩野七生 著、 新潮社、1994年
カルタゴは700年の歴史を残して滅亡しました。そのときローマは建国600年。「盛者必衰」の予感を抱くものもいたはずです。ハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌスが政治的な攻撃によって不遇な晩年をおくったことに、私はその兆しを見ます。
常勝だったはずのローマ軍は弱体化してきます。その原因は社会が豊かになり格差が広がったこと。ローマの「直接税」は軍役ですが、それを果たすことができない貧困層が増えてきたのです。ティベリウス・グラックスの農地改革は、無産者に農地を与えることでローマ市民層を健全化し社会不安を解消しローマ軍団の質量を改善しよう、というものでした。ところが元老院は、その動きを自分たちの権威に対する挑戦と見ます。グラックスは護民官選挙の場で撲殺され、さらにはグラックス兄の思いを継ごうとした弟も殺され、以後百年間は「ローマの内乱」となります。「改革派」と「抵抗勢力」の争い、と言ってしまうとあまりに単純化のしすぎでしょうけれど。
ここで私はちょっと考えてしまいます。執政官にしても護民官にしても任期は1年です。しかも原則として連続しての再任は禁止。これは権力の集中を防ぐ効果はありますが、そのぶん「1年の間に“結果”を出さなければ」と選出された人に焦りを強いることになります。1年では国に関して大した仕事ができないのは、最近のどこぞの首相を見ても明らか。ところが「スター」を嫌う元老院はずっとその座にいて(足を引っ張る)チャンスを窺い続けることができます。これって不公平ではありませんか? でもまあ、決まりは決まり。ローマの改革を元老院(つまりは「体制」)の外から行おうとしてグラックス兄弟は失敗しました。ではその次は?
登場したのはガイウス・マリウスです。平民の軍人上がりで執政官となった彼は、志願兵制度を導入し、無産者に対して兵士になる道を開きます。それはすなわち失業者に「一人前のローマ市民になる道」を示したことになりました。それによって、志願兵だけではなくて、徴兵されずにすむことになった底辺の市民たちからも、ガイウス・マリウスは強い支持を得ることになります。(ちなみにその子が、ガイウス・ユリウス・カエサルです) 後世それは「私兵化」と呼ばれますが、著者は「義理人情」と言います。どちらにしても、「ローマ」ではなくて「将軍」に従う軍団ができてしまったのです。
ローマにローマ兵が進軍することが続きます。最初はスッラ。次はガイウス・マリウス。そしてまたスッラ。戦場ではなくて、元老院が血にまみれます。スッラは任期無期限の独裁官に就任し、その政敵の息子カエサルはオリエントまで逃げることになります。ただし、スッラは改革をどかんどかんと進めるとあっさり独裁官を辞任しました。ローマの共和制を復興するための改革だから独裁官は邪魔になる、ということで「筋を通した」と著者はスッラを高く評価しています。
第I巻から著者が折に触れ「パトローネス」と「クリエンテス」(パトロンとクライエント)の関係について述べ続けている意味がこの巻あたりからやっと私には見えてきました。これはローマ内部の人間関係の主軸であるだけではなくて、ローマという国の外交関係の基盤でもあったのです。表に見える制度ではなくて、それを支える人間関係に注目してローマ史を著者は描く、だから「ローマの物語」ではなくて「ローマ人の物語」、というわけなのでしょう(もちろん「列伝」だから「ローマ人」ということもできるでしょうが)。