1960年代にイギリスで「ニュー・ウェーブ」運動がありました。もともとはフランス映画の新しい運動に対する命名だったのが、いつのまにかイギリスSFに使われるようになったのです。それは、それまでのSF(ポー、ヴェルヌ、ウェルズなどの基礎の上に花開いた、たとえば、アシモフ、クラーク、フレデリック・ポールなどを代表選手とするジャンル)を“古いもの”とし、新しい文学的試みをするという宣言でした。そこで注目されていたのが、ブライアン・オールディス、ジョン・ブラナー、そしてJ・G・バラード。ただ、私のような、当時SFに出会ったばかりの新人読者にとっては、何が古くて何が新しいか、なんてことは関係ありませんでした。なにしろ出会うもの「すべて」が新しかったのですから。(私が「SFの中の運動」を意識したのは『ニュー・ロマンサー』で始まった「サイバーパンク」からです)
思えば幸福な時代でした。過去の名作の蓄積は膨大で、でもその気になったらそのほとんどを読むことが可能なレベル。さらに日替わり定食のように新しい作品が次々登場するのです。それらを(その気さえあれば)どんどん読破することが可能な時代でした。こうして私は(特定のジャンルに偏らない)“SFファン”になりました。今私がSFのファンになったとしたら、もしかしたらSFの中の一つか二つのセミジャンルを詳しく知って満足するしかなかったかもしれません。
【ただいま読書中】『沈んだ世界』J・G・バラード 著、 峰岸久 訳、 創元推理文庫、1968年、150円
水没した世界といえば『水域』(椎名誠)も思い出しますが、世界中が水没している割にはからっと乾いて明るい雰囲気の『水域』と違ってバラードの世界はずいぶん熱っぽくじめじめじとじとしています(映画の「ウォーター・ワールド」も思い出しましたが、これは「水の上のマッドマックス」とでも言うべき作品でしかも明るいというより脳天気な雰囲気なのですぐに忘れることにします)。
6階まで水没したリッツホテルで本書は幕を開けます。ヨーロッパのどこかの都市(おそらくロンドン)のはずですが正確な地名はわかりません。熱帯のように繁茂するしだやつる草、200フィートを超す巨木、トンボほどの巨大なハマダラ蚊、イグアナ、背びれとかげ、蛇……あたりはまるで三畳紀のジャングルの様相です。太陽の変動によって地球は温暖化どころか灼熱化し、北極圏は亜熱帯となり、赤道地帯の気温はすでに摂氏80度を超えています。北半球の人々は北方に避難を続け、ヨーロッパに残っているのは少数の住民と調査団と軍人だけです。生物学者ケランズは、隊員たちの間に、孤立と自己閉塞の傾向が強まっていることに気づきます。自分を含めて。彼はそれを「世紀末的な傾向」と自己正当化しますが、それが単なる合理化であることは(彼を含めて)皆がわかっています。生息圏が狭められ、出生率は落ち、人類は終焉の時を迎えているのです。原初の生命が持っている記憶が蘇ったような不思議な悪夢がそういった人々を襲うようになります。
探検隊は撤収を命じられます。しかしケランズは残留を希望します。近い将来の死が約束された世界に、自ら望んで島流しになろうというのです。そして、残留を望むのはケランズだけではありませんでした。世界は水に沈んでいきますが、人間たちは何か別のもの、たとえば「時間」に沈んでいこうとしているようです。
思弁小説かとみせて、話はここから冒険小説になります。冒険小説と言うにはずいぶん風変わりなものですが。高校の時に読んだこの本、その時には雰囲気は楽しめたけれど読後なんだか釈然としない思いが残りました。約40年経って読んだら……やっぱり釈然としない思いが残ります。「ウォーター・ワールド」をひゃははと楽しんだ方が良いのかしら。
思えば幸福な時代でした。過去の名作の蓄積は膨大で、でもその気になったらそのほとんどを読むことが可能なレベル。さらに日替わり定食のように新しい作品が次々登場するのです。それらを(その気さえあれば)どんどん読破することが可能な時代でした。こうして私は(特定のジャンルに偏らない)“SFファン”になりました。今私がSFのファンになったとしたら、もしかしたらSFの中の一つか二つのセミジャンルを詳しく知って満足するしかなかったかもしれません。
【ただいま読書中】『沈んだ世界』J・G・バラード 著、 峰岸久 訳、 創元推理文庫、1968年、150円
水没した世界といえば『水域』(椎名誠)も思い出しますが、世界中が水没している割にはからっと乾いて明るい雰囲気の『水域』と違ってバラードの世界はずいぶん熱っぽくじめじめじとじとしています(映画の「ウォーター・ワールド」も思い出しましたが、これは「水の上のマッドマックス」とでも言うべき作品でしかも明るいというより脳天気な雰囲気なのですぐに忘れることにします)。
6階まで水没したリッツホテルで本書は幕を開けます。ヨーロッパのどこかの都市(おそらくロンドン)のはずですが正確な地名はわかりません。熱帯のように繁茂するしだやつる草、200フィートを超す巨木、トンボほどの巨大なハマダラ蚊、イグアナ、背びれとかげ、蛇……あたりはまるで三畳紀のジャングルの様相です。太陽の変動によって地球は温暖化どころか灼熱化し、北極圏は亜熱帯となり、赤道地帯の気温はすでに摂氏80度を超えています。北半球の人々は北方に避難を続け、ヨーロッパに残っているのは少数の住民と調査団と軍人だけです。生物学者ケランズは、隊員たちの間に、孤立と自己閉塞の傾向が強まっていることに気づきます。自分を含めて。彼はそれを「世紀末的な傾向」と自己正当化しますが、それが単なる合理化であることは(彼を含めて)皆がわかっています。生息圏が狭められ、出生率は落ち、人類は終焉の時を迎えているのです。原初の生命が持っている記憶が蘇ったような不思議な悪夢がそういった人々を襲うようになります。
探検隊は撤収を命じられます。しかしケランズは残留を希望します。近い将来の死が約束された世界に、自ら望んで島流しになろうというのです。そして、残留を望むのはケランズだけではありませんでした。世界は水に沈んでいきますが、人間たちは何か別のもの、たとえば「時間」に沈んでいこうとしているようです。
思弁小説かとみせて、話はここから冒険小説になります。冒険小説と言うにはずいぶん風変わりなものですが。高校の時に読んだこの本、その時には雰囲気は楽しめたけれど読後なんだか釈然としない思いが残りました。約40年経って読んだら……やっぱり釈然としない思いが残ります。「ウォーター・ワールド」をひゃははと楽しんだ方が良いのかしら。