【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

切れる包丁

2010-05-11 18:41:25 | Weblog
先週家内が数日留守をしたので、久しぶり(2年ぶりくらいかな)に自分と子どものための家事をやることになりました。料理を作ろうと思ったら、妙に包丁が切れます。そういえば、普段は自分で研いでいるのに最近専門家にやってもらったと言っていたな、と思い出して、自分の手を切らないように注意しましたが、まな板の上はともかく、怖いのは洗うときですね。刃そのものを触るわけですから。そういえば最近家内の指先に傷テープが貼ってあったっけ、と遅ればせに思い出します。う~む、夫婦の会話が不足している?

【ただいま読書中】『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』アレックス・バーザ 著、 鈴木南日子 訳、 エクスナレッジ、2009年、2200円(税別)

目次
第1章 フランケンシュタインの実験室
第2章 センソラマ
第3章 トータル・リコール
第4章 睡眠の話
第5章 動物の話
第6章 恋愛の話
第7章 赤ちゃんの話
第8章 トイレの読書愛好家のために
第9章 ハイド氏の作り方
第10章 最後

著者が「これは奇想天外だ」と感じるかどうかだけを基準に選択された科学実験の数々が充満してこぼれそうになっている本です。ただナチスの“実験(拷問)”のような科学雑誌に公表されないようなものは落とされています。また、実話であることも掲載条件です。グロテスクな実験やらユーモラスなものやら、もう様々なジャンルの様々な“科学実験”がジェットコースターのように読者を科学のちょっと変わった世界に運んでいってくれます。
無難なところで第2章(感覚に関する実験)から「ワインのテイスティング実験」はどうでしょう。ワイン専門家54人を招いての実験ですが、そこで出されたうちの一つは赤く着色された白ワイン。ところが専門家はみごとにだまされちゃうんですね。(なお、これは専門家を馬鹿にするための実験ではなくて、脳は同時に複数の感覚情報を処理しているがその中でも特に視覚情報が優越することを示すためのものでした)
あるいはコーラ。2005年にベイラー医科大学のリード・モンタギューが目隠しテストをすると、ほとんどの人はコークとペプシの区別ができなかったそうです。さらに、ラベルのあるなしで同じコーラを飲んでもらうと、コーク好きの人たちは(同じコークなのに)「コカ・コーラ」のラベルがある方が美味しく感じました(ペプシ好きのグループはそこまで“ペプシのラベル”に反応をしませんでした)。つまり「コークの美味しさ」は、広告によって刷り込まれているらしいのです。(モンタギューは、飲む人の主観だけではなくて、MRIで客観的に脳の活動も調べ、「脳の配線」が広告によって決定(改変)されている可能性を示唆しています)
揺れる吊り橋の上での心理学実験(恐怖と性的興奮の関係)のことは読んだことがあります。ちゃんと安全な場所での対照実験も行なわれているのが笑えます。夫婦の性交中の心拍数を測定する最初の実験は1927年だったんですね。う~む、この実験では“実験動物”になる自信が私にはありません。
赤ちゃんに関する実験も様々です。特定の状況でだけ赤ちゃんを驚かしたり、覆面をして赤ちゃんをくすぐってみたり、人間とチンパンジーの赤ちゃんを一緒に育ててみたり……「布製の母」(1950年代にウィスコンシン大学のハリー・ハーロウが行なった、アカゲザルの赤ちゃんを「布製の暖かい“母”」と「金属製だが乳が出る“母”」で育てる実験)も聞いた覚えがありますが、ハーロウは「母性を構成する要素」を科学的に追究しています。その要素は……読んだらきっとがっかりします。しかし、「おしめの甘い香り」実験では母性に対する信頼が回復するでしょう。
服従実験(別の実験だ、と被験者をだまして役者に電気ショックを与えさせる)では、人は容易に“強制収容所の職員”になってしまいました。さらにがっかりするのは、アカゲザルでの同様の実験(自分が餌を得るためには、隣の檻の同族に高周波ショックを与えなければならない)では、サルが飢えに苦しみながらも「ノー」を言った(他のサルに苦痛を与えないことを選択した)のを知ったときです。人間性って……サル性よりも上?  さらに、ボランティアを無作為に二組に分けての「囚人と看守」実験(1971年スタンフォード大学)。これも結末はショッキングです。自分の中にいる「ハイド氏」の影の冷たさを感じるような気がして。
そうそう、秤を使った実験で「魂の重さ」測定実験が本書にはありますが(死ぬ瞬間21gも軽くなる、と1901年に実験をしたマクドゥーガルは主張しています)、何年もずっと秤の上で生活した人(誰でしたっけ?)の実験もそれと並べて欲しかったなあ。「生」と「死」と「秤」でバランスが良くなりますから。