日本で街を眺めていてつくづく思うのは「電線が邪魔」です。ちょっと上を見たら視野に常に存在していて、空を見るにしても建物を見るにしても、うるさくてかないません。
ただ、地下共同溝などで電線が全部地中化されたとしたら、それからしばらくして“懐かしく”思い出すのはきっと「電線がある風景」なんでしょうね。
【ただいま読書中】『ガーンディー自叙伝(2) ──真理へと近づくさまざまな実験』M・K・ガーンディー 著、 田中敏雄 訳注、 平凡社(東洋文庫672)、2000年、2800円(税別)
奉仕するべきは利益ではなくて真理、と、依頼人にさえウソを許さない著者の態度は、かえって弁護士としての名前を高めます。ただしその名声は彼にとっては苦しみの元ともなっていきます。ただ、その名声ゆえか“実績”も上がるようになります。有色人種の管理に関して汚職をしていた二人の官吏の裁判で、「白人陪審員は有色人種がらみの裁判では白人を無条件に無罪にする」当時の風潮に従って判決は無罪だったにもかかわらず、二人は免職となったのです。ただし著者は「人」と「人の行為」とは別物、という態度です。後日二人の再就職が問題となったとき著者は二人の再就職を支持し、そのために無事に再就職ができています。
私生活では禁欲を是とし、食べるものは新鮮な果実とナッツとドライフルーツだけ、という極端な食生活も行ないます。
南アフリカのフェニックスでは入植地を作り、小さいものですが、インド人も白人も分け隔てのない世界を実現させます。
第一次世界大戦が起きます。著者はインド人による、衛生・看護部隊を組織します。著者が信奉する「非暴力」によれば、戦争にかかわることは禁止されるはず。しかし著者は「もちろん戦争阻止に動くべき。しかし、それができない場合、どうしても戦争に関与しなければならない場合には、戦争から自分自身・国・全世界を救おうと努力するべきだろう」と迷いながら決断します。理想と現実の間での妥協が必要、と。
この「妥協」は常に行なわれます。のちにインドに帰ってストライキを始動する場合でも、工場主などと単に敵対するのではなくて常に妥協策を探り続けるのです。これは「強硬派」には腹立たしい“裏切り行為”にしか見えないでしょうね。しかし著者にとっては「理想の言いっぱなし」や「流血沙汰」は望ましいことではないのです。
サッティーヤグラハ(英語だとパッシヴ・レジスタンスですが、その本質は不服従)も少しずつ形を為してきます。ティーンカティヤー(イギリス人農園主によるインド人小作人搾取)を調査するときも、インド政府による脅しにも著者は「反対」ではなくて不服従で応えます。なお、このとき重要なのは「(相手に対する)礼儀」であり、法律への不服従は「法律を謙虚に自発的に尊重する人」が行なうから意味があるのだそうです。
インドでも小さな農園で共同体を作りますが、そこに不可触民を受け入れたことから騒動になります。さらにヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を訴え、そこでもまた多くの敵を作ります。著者はそのへんをひょうひょうと書いていますが、読んでいてため息が出ます。なんでこんなに困難な道をあえて進まなくちゃいけないんだ、と。
さらにインドの自立のために、まずイギリスの布を拒否することを著者は考えます。では必要なのは? 紡ぎ車や手織り機です。弁護士や新聞発行の経験はあってもその方面には無経験な著者は、ほとんどインドでは絶えていた技術を伝える人を捜し普及させようとします。著者の「理想の実現」は、常に足が地面についていて手が届く範囲で具体的に始められます。ただ、この「国産品愛用運動」によって著者は工場主たちを敵に回します。
「自分の人生は実験」と言い切り、考えや意見の違う人たちと共存しようとする心の強さには、ただひたすら敬服するのみです。世の中に「ガーンディー」が1%でもいたら、もっと世界は住みやすいものになっているかもしれません。
ただ、地下共同溝などで電線が全部地中化されたとしたら、それからしばらくして“懐かしく”思い出すのはきっと「電線がある風景」なんでしょうね。
【ただいま読書中】『ガーンディー自叙伝(2) ──真理へと近づくさまざまな実験』M・K・ガーンディー 著、 田中敏雄 訳注、 平凡社(東洋文庫672)、2000年、2800円(税別)
奉仕するべきは利益ではなくて真理、と、依頼人にさえウソを許さない著者の態度は、かえって弁護士としての名前を高めます。ただしその名声は彼にとっては苦しみの元ともなっていきます。ただ、その名声ゆえか“実績”も上がるようになります。有色人種の管理に関して汚職をしていた二人の官吏の裁判で、「白人陪審員は有色人種がらみの裁判では白人を無条件に無罪にする」当時の風潮に従って判決は無罪だったにもかかわらず、二人は免職となったのです。ただし著者は「人」と「人の行為」とは別物、という態度です。後日二人の再就職が問題となったとき著者は二人の再就職を支持し、そのために無事に再就職ができています。
私生活では禁欲を是とし、食べるものは新鮮な果実とナッツとドライフルーツだけ、という極端な食生活も行ないます。
南アフリカのフェニックスでは入植地を作り、小さいものですが、インド人も白人も分け隔てのない世界を実現させます。
第一次世界大戦が起きます。著者はインド人による、衛生・看護部隊を組織します。著者が信奉する「非暴力」によれば、戦争にかかわることは禁止されるはず。しかし著者は「もちろん戦争阻止に動くべき。しかし、それができない場合、どうしても戦争に関与しなければならない場合には、戦争から自分自身・国・全世界を救おうと努力するべきだろう」と迷いながら決断します。理想と現実の間での妥協が必要、と。
この「妥協」は常に行なわれます。のちにインドに帰ってストライキを始動する場合でも、工場主などと単に敵対するのではなくて常に妥協策を探り続けるのです。これは「強硬派」には腹立たしい“裏切り行為”にしか見えないでしょうね。しかし著者にとっては「理想の言いっぱなし」や「流血沙汰」は望ましいことではないのです。
サッティーヤグラハ(英語だとパッシヴ・レジスタンスですが、その本質は不服従)も少しずつ形を為してきます。ティーンカティヤー(イギリス人農園主によるインド人小作人搾取)を調査するときも、インド政府による脅しにも著者は「反対」ではなくて不服従で応えます。なお、このとき重要なのは「(相手に対する)礼儀」であり、法律への不服従は「法律を謙虚に自発的に尊重する人」が行なうから意味があるのだそうです。
インドでも小さな農園で共同体を作りますが、そこに不可触民を受け入れたことから騒動になります。さらにヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を訴え、そこでもまた多くの敵を作ります。著者はそのへんをひょうひょうと書いていますが、読んでいてため息が出ます。なんでこんなに困難な道をあえて進まなくちゃいけないんだ、と。
さらにインドの自立のために、まずイギリスの布を拒否することを著者は考えます。では必要なのは? 紡ぎ車や手織り機です。弁護士や新聞発行の経験はあってもその方面には無経験な著者は、ほとんどインドでは絶えていた技術を伝える人を捜し普及させようとします。著者の「理想の実現」は、常に足が地面についていて手が届く範囲で具体的に始められます。ただ、この「国産品愛用運動」によって著者は工場主たちを敵に回します。
「自分の人生は実験」と言い切り、考えや意見の違う人たちと共存しようとする心の強さには、ただひたすら敬服するのみです。世の中に「ガーンディー」が1%でもいたら、もっと世界は住みやすいものになっているかもしれません。