【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

知識

2010-05-28 18:21:58 | Weblog
エデンの園でキーになる木は「知識の果樹」です。神はわざわざそんなものをエデンの園に植え、その上で「食べたら死ぬ」と禁止しました。この「禁止の強制」がどのような心理を人間に生じさせるかは昨日書きました。
ところで、旧約聖書が成立した古代に「知識」はどんなものだったのでしょう。特にユダヤ人は、当時の人びとには珍しく「ロゴス」を重視した生活をしていたはずです。それなのに「知識」を「禁断の果実」と扱わせるのは、一体なぜ?
中世には信仰心がすべてに優先でしたが、ルネサンス期以降は「知識」は“素晴らしいもの”となりました。信仰心だけではなくて、知識や理性で世界を理解することもまた“神に通じる道”となったのです。だからこそインテリ階層は熱狂的に古代の知識を求め、さらに自分たちでも新しい知識を得ようとしました。
さて、現代では「知識」は、どんなものなんでしょう。「科学の行きすぎを憂える」なんてこともありますが、あれはやはり「知識は禁断の果実」の一種かな。

【ただいま読書中】『失楽園(下)』ミルトン 著、 平井正穂 訳、 岩波文庫32-206-2、1981年

大天使ラファエルの話を聞いて、アダムの好奇心が発動します。エデンの“外”に世界があることを知り、ではそこはどんなものなのか知りたくなったのです。ラファエルは求めに応じて語ります。天使ルーシファ(明星)が地獄に墜とされてその名を失いサタンと呼ばれるようになったこと。その後神は「もう一つの世界」を作ってそこで人間を増やし、やがて自力でまた彼らがこの「天」に昇ってこられるようにしようと決心して「天地創造」を行なったこと。
アダムは驚き、さらに好奇心が高まります。星の運行はどうなっているのか、自分は何ものなのか、イーヴとの関係は……ラファエルは明確には答えず、アダムを励まします。すべてをすぐに知ろうとせずに、少しずつ探求をするように、と。(星の運行については、まだニュートンの仕事が完成せず地動説が主流ではなかった時代ですから著者も言葉を濁すしかなかったでしょうが)
なんだか、神もラファエルもサタンも、寄ってたかってアダムとイーヴを知識の果樹に追いやっているような気がしますが……気のせいかな?
エデンから追い払われたサタンは、1週間地球の闇の部分を彷徨います。綿密な調査の結果、一番知能が高くて“使えそう”なのは蛇とわかります。そこで地下水路を通ってまたエデンの園に侵入し、眠っていた蛇の体内に入ります。そしてイーヴを“誘惑”、まんまと知識の果実を食べさせてしまいます。このときのサタンの甘言追従は、普通の人間だったら抵抗できないレベルの力をもっています。まあ、サタンですからね。
イーヴの告白を聞いてアダムは驚きますが、死ぬのなら一緒に死のうと知識の実を食べることにします。二人がまず感じたのは……情欲でした。めくるめくセックスの後、二人は「羞恥」を知ります。そして口論が始まります。お互いに「相手が悪い」とだけ言い「自分が悪い」とは絶対言わない虚しい口論が。ああ、なんて人間的な。
エデンの守護天使は神に言い訳をします。サタンの侵入を完全に防ぐことは無理だった、と。神はそれを認めます。地獄に幽閉されていた「罪」と「死」は解放されて地球に向かいます。サタンは意気揚々と地獄に帰還しますが、手下の天使たちが全員蛇に変身させられているのを発見します。そして自分も。エデンに派遣されたイエスは、イーヴには出産の苦しみと夫に隷属する義務を、アダムには労働の苦しみを、二人に死すべき運命を罰として与え、さらに二人の子孫が蛇に復讐するだろうと予言をします。話はてきぱきと進行します。まるであらかじめ筋書きができていたかのように。
二人は苦しみ、一時自殺まで考えますが思いとどまります。希望を捨てず、さらにイエスの予言(二人の子孫が蛇に復讐する)を信じよう、と。
二人を楽園から追放するためにミカエルが派遣されます。しかし追放直前、ミカエルはアダムを、地球の半分が見える山頂に連れて行き、人類の将来の姿(追放後から大洪水まで)を映像として見せます。そして最終第十二巻。ノアの箱舟以後の歴史も物語られますが、これはもうオマケです。二人は自分たちに“未来”があることを知り、それを頼りに、手に手を取ってエデンの園から漂泊の旅を始めます。

「失楽園」はもちろん人類にとっての「エデンの園」のことです。しかし、私には「サタンたちが失った天国」のことでもあるように見えます。そして、中世が終わってしまった西洋の人たちにとっては、「キリスト教を信じていればそれでよかった世界」の崩壊がもしかしたら「失楽園」ではなかったのか、とも思えます。だからこそわざわざガリレオ・ガリレイへの言及がさりげなく混ぜられているのではないかなあ。