今広島でアマチュアボクシングの全日本女子選手権が開催されています。ニュース画面でその中にひときわ目立つ人がいると思ったら、南海キャンディーズの「しずちゃん」でした。今日優勝したので、五輪代表へ挑戦できるのだそうです。
芸人としての仕事と両立するのか?と一瞬思いましたが、アマチュアボクサーは誰しも基本的に仕事と両立をさせているわけですから、そこは本人の節制と頑張り次第なのでしょう。女子ボクシングの“広告塔”としてよく機能していますから、ボクシング協会から報酬……は、アマチュア選手だからだめですね。残念。
【ただいま読書中】『曹操墓の真相』河南省文物考古研究所 編著、 渡邊義浩 監訳・解説、 国書刊行会、2011年、2300円(税別)
河南省の西高穴村は、人口2000足らずの目立たない小村ですが、畑からは先史時代から明清時代までの遺物がふつうに出土する歴史の分厚い土地です。1998年、村の西北から「墓誌(古人の死去に際して、その障害を記録した文物)」が出土します。そこには魏の武帝(曹操)の墓の位置が刻まれていました。法律では文物は「保護」が第一義となっています。つまり曹操の墓があるとしても、それを発掘することができません。しかし、盗掘者はそんなことにはお構いなし。盗掘の報告を受けた河南省文物局は調査をし、この墓のスケールが桁外れであることを知りますが、発掘許可は下りません。しかし盗掘者は繰り返し現われます。事態を放置できず、ついに国は発掘許可を出します。
盗掘者は、墓室で手に入るものは洗いざらい持ち去り内部を徹底的に破壊していました(下に敷き詰められた分厚い舗地石まではがしていました)。発掘隊は落胆しますが、少しずつ遺物や人骨が出土し始めます。
さらに別の方向の“発掘”も同時進行で行なわれていました。警察が盗掘団を追跡し、遺物を回収し始めたのです。
しかし、盗掘者の“影”が重要な役割を果たしています。発破をかけて盗掘穴を開けるとは、やることが乱暴すぎますが、時間をかけてじっくりと、ができない事情があったのでしょう。ただ、それで盗掘された石碑(墓誌)が、今回のことの発端になったわけで、盗掘者にも一分の“利”があった、とは言えそうです。
墓主は特別に格式の高い人で、かつて「魏の武王」と呼ばれていたことがわかりました。では、曹操? それを確認するために専門家が結集します。本書ではこの墓が曹操のものであることは間違いない、とされていますが、そのことに疑いを持っている人はまだ多いようです。
曹操は、歴史の中では「奸雄」として扱われてきました。『三国演義』ではもちろん悪役ですが、南北朝・南宋の時代には「北方の異民族」と曹操が重ね合わされ、曹操が悪逆非道であることは「史実」とされたのです。それに対して毛沢東は「曹操は英雄である」と“名誉回復”を試みます。
おやおや。中国人にとって「曹操」は歴史であると同時に「現在の問題」でもあるのですね。