【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ジャンル分けと順位

2012-02-27 19:08:34 | Weblog

ジャンル分けと順位
 文学賞というのはそれぞれの賞にふさわしいものに与えられます。たとえば芥川賞は「新人の純文学」・直木賞は「ベテランの娯楽小説」と私は認識しています。したがって「候補作品」はまずそれぞれの「ジャンル」によって分類されてしまいます。どんなに優れたものでもたとえば「新人の娯楽作品」は芥川賞の候補になることはありません(私の認識が正しければ、ですが)。
 さて、めでたく5作品(でしたっけ?)の候補のラインナップに入ったとしましょう。次に問われるのは「5作品の何番目であると評価されるか」です。「1番」だったら受賞はまず間違いないでしょうが、それでも「受賞作なし」となる場合だってあります。「3番以下」だったらもう受賞の目はありません。
 で、ここで私は思うわけです。選考委員は候補作すべてについていろんなことを言いますが、候補の選択から漏れた中に、実はもっとすごい作品がある可能性については何も言わないんだなあ、と。まるで「メニューに載っていない料理は一切注文できないレストランの客」みたいだな。

【ただいま読書中】『共喰い』田中慎弥 著、 文藝春秋2012年三月特別号、848円(税別)

 「小説」を私は、「世界」を「ことば」で表現したもの、と思っています。「世界」は、「現実」から「完全な虚構」までグラデーションのかかったものです。小説家はその「世界」のどこかに焦点を合わせ、そこで「自分のことば」を使い始めます。「ことば」は「紡ぐもの」であったり「切り出すもの」であったり、それは様々です。どんなことばをどんな風に使うか、それも小説家が選択します。こうして「他の人には書けないオリジナル作品」が登場します。
 芥川賞を受賞した『共喰い』で扱われている「世界」は、「現実」にひどく近いにおいがします。この地球上のどこかに本当に存在するかもしれない「現実」。そしてそこで著者によって使われる「ことば」は、作中に登場する「釘針」のような、鋭くて突き刺さったらがっちり固定はできるものの、すくい取れる範囲はずいぶん狭く限定されているもののように私には感じられました。たとえば「セックスをする」という表現が何回も出てきます。だけど、私だったらべつの「ことば」を使おうとするでしょう。このままだと「セックスの時に女を殴りたくなる」のは「欲望の発露」となってしまい、「勃起したペニスで障子を破る」のと同等のものでしかなくなってしまいますから。それだったらわざわざ「新しい作品」を登場させる意味はありません。せっかく「息子の中にある父の暗い影」と「父の中にある息子の暗い影」の相互作用のコワサを描いているのだから(私は本作を一種のホラー小説として読みました)、「セックスをする」ではなくてもっと「文学的な表現」が欲しかったなあ。
 たまたま本屋で「芥川賞発表」の文字が目に飛び込んできたので発作的に購入しましたが、この雑誌はお買い得ですねえ。受賞作以外のところでも、いろいろ読み応えがあります。これで税込み890円とは安いなあ。