【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

2012-08-12 17:37:22 | Weblog

 「となりのトトロ」、おばあちゃんの畑で姉妹がトウモロコシを収穫するシーンがありましたね。あの頃のトウモロコシは、今のスイートコーンとは違って、もっともちもちして甘味はやや乏しく、「おれは穀物だ!」と主張しているような作物でした。「と」つながりで、当時のトマトも、今の果物のように甘いトマトとは違って、ひたすら夏臭くて歯ごたえのある作物だったことを私は思い出します。
 どちらも品種改良で、歯ごたえを柔らかくし味は甘くして、それはそれでとても美味しいのですが、それ以外の“何か”を失ったような気がすることもあります。単なるノスタルジーかもしれませんが。

【ただいま読書中】『トマトとイタリア人』内田洋子、S・ピエールサンティ 著、 文藝春秋(文春新書310)、2003年、700円(税別)

 コロンブスの「新大陸発見」によって、様々なものがヨーロッパにもたらされました。しかし、重要な二種類の植物(ジャガイモとトマト)は太平洋側のアンデスで栽培されていたため、その存在がヨーロッパに知られるにはもう半世紀ほどかかりました。インディオはトマトを、生食またはソースの材料としていましたが、ヨーロッパではおなじナス科でトマトとそっくりのマンドラゴラからの類推で「トマトは有毒の実」としてしまいました。もちろん空腹に耐えかねて食べる人はいたでしょうが、いわば「日陰者の存在」状態が3世紀続きます。(「トマトの毒性」を信じた人が、「トマト料理によるリンカーン大統領暗殺計画」を立てた、なんて驚きのエピソードも紹介されます)
 しかしトマトの品種改良と食生活の変化によって、トマトに日の光が当たります。あっという間に人気者。まずは17世紀ヨーロッパで「食卓の飾り物」として、そして18世紀には「食品」として。はじめは「肉(茹で肉や焼肉)のソース」として重宝されましたが、やがて運命的な「パスタとの出会い」があります。18世紀のナポリでは、手打ちパスタが広く食べられていましたが、それとトマトソースを組み合わせることを思いついた料理人がいたのです(名前は残されていません)。一度その「組み合わせ」が始まれば、あとは一気呵成。数百種類のパスタそれぞれに適したソースが開発されていきます(同じペンネでも、表面に細かい溝があるものには唐辛子の利いたトマトソースで、表面がつるりとしていたらツナ入りトマトソース、なんて細かい“キマリ”があるのだそうです)。
 19世紀のイタリアは、外国に支配された都市国家の集合体でした。だから独立運動と統一運動が起きるのですが、その時「食」の面で「イタリア」を象徴したのが「トマト」でした。著者は、イタリア国旗の「赤」は、国民が流した血であると同時にトマトのことでもあるのではないか、なんてことまで言っています。
 「品種改良」によって、トマトは長期保存が可能になりました。しかしその味は低下している、と著者は嘆いています。「イタリアの味」が失われている、と。それでも「イタリアで食べるトマトソースは、他の国のとは味が違う」のだそうです。そんなことを言われたら、イタリアまで食べに行きたくなるじゃないですか。困った本です。