国語の教科書で「最後の授業」(アルフォンス・ドーデ)を習ったときには、そのラストシーンの「フランス万歳」が心にしみました。戦争に負けて「フランス」から「ドイツ」に変わらされるんだな、と。ところがそれからしばらく経って、アルザス=ロレーヌ地方は、独仏の係争地で、文化的にはドイツ語圏に属すると知って、この作品に対する感想が変化しました。ところがそれからさらにしばらく経って、第二次世界大戦前にアルザスの人がドイツ国内で「アルザス人」として差別されているのを知って、私は「簡単に感想を持たない方が良さそうだぞ」と思うようになりました。少なくとも「ドイツ語かフランス語か」という単純な問題ではなさそうですので。
【ただいま読書中】『アルザスの言語戦争』ウージェーヌ・フィリップス 著、宇京三 訳、 白水社、1994年、3495円(税別)
アルザスはかつては「アルザス」で、フランスでもドイツでもありませんでした。そもそもフランスもドイツもかつては「フランス」や「ドイツ」ではなかったのですが。
かつてケルト人が支配したアルザスは、紀元前1世紀にゲルマン人に、ついてローマ人に支配されました。4~5世紀頃ゲルマン部族(アレマン人)が侵入し、最終的にフランク族が支配を確立します。その結果、アルザスでは「フランク語」と「アレマン語」(どちらもゲルマン方言)が用いられることになりました。フランク族は数が少なく、アルザスに実際に住んでいたのはガリア人で、使っていたのは「ガロ・ロマン語(ガリア風のラテン語)」でした。ガロ・ロマン語はやがてゲルマン方言に吸収されていきます。
10世紀にキリスト教化の波が西から(フランス語と共に)やってきます。宗教改革後、フランスで迫害されたプロテスタントが大量にアルザスに流入します。しかしフランス語は少数派でした。ドイツ語が、印刷された聖書(を用いた説教)を通じてアルザスに広がっていきます。アルザス人は、北部ではフランク語方言/その他の地方ではアレマン方言、知的階級は共通ドイツ語さらにはフランス語も使用、という状況でした。
30年戦争後のヴェストファーレン条約によってアルザスはフランスの支配下に入ります(ただし、中心地のストラスブールは自由都市)。フランス語が公用語とされましたがそれは行政と司法の世界に限定でした。フランスには「ドイツ語廃止、フランス語強要」の気運もありましたが、本書には「言葉を変えさせるのは、宗教を変えさせるよりも難しい」という意味の文言があります。国王も無理をする気はなかったようです。
フランス革命によってフランス語は「国王の言葉」から「国家の言葉」になり、恐怖政治によるフランス語の押し付けが始まります。さらに「国家総動員令」によって集められた人々は軍隊で「フランス語」を学び、帰郷するとそれを広めることになります。さらに「フランス語使用」=「愛国者」という風潮が生じます。子供にフランス語を使わせるために、フランス国立師範学校の第一号はストラスブール、「未来の母親」である女子の教育のために女子中学校も作られます。しかし、「路上の言葉」はアルザス方言、宗教の言葉はドイツ語でした(アルザスのカトリック教会では「宗教教育は信者の母語で施されるべき」という原則が守られていたのです)。それでも多くの住民はフランスを敬愛していました。そこに「ドイツ民族主義(祖国はドイツ)」も出てきて話がややこしくなります。アルザスはたしかにドイツ語圏ですが、それと「ドイツへの帰属意識」は別の問題だったのです。
1870年の普仏戦争で、アルザスとロレーヌはドイツの支配下に入ります。ドイツはドイツ語による支配を目論みますが、困難の壁に直面します。ドイツ語圏に住みフランス文化に憧れふだんは方言をしゃべる人に、一言語だけを強制することは無理な話だったのです。しかし「フランス」と「ドイツ」だけが存在して「アルザス」は存在しない人たちにとって、それはわけがわからない事態でした。アルザスはフランスからドイツ領に変わった。だったらもうフランス語は不要だろ?です。アルザスでのフランス語は「文化遺産」だったのですが。ドイツはフランスのやり方を見習って、師範学校でドイツ語に堪能な教師をどんどん育てます。
第一次世界大戦後、アルザスに入城した(“解放”した)フランス人は「アルザスは当然フランスを愛するべきだ」と決めつけます。アルザスはドイツ帝国に意志に反して組み入れられてしまいましたが、連邦制度の恩恵(地方自治)も受けていました。それが今度はフランス式統一主義に組み入れられるのです。そしてまた言語の問題が。フランスは当然公用語としてフランス語を導入し、ドイツ語の使用を禁止します。そのため、たとえば裁判では多くの原告が通訳に頼らなければならなくなりました。結局公文書は二箇国語で作成されることになりますが、教育分野では当然のように「ドイツ語追放」となりました。その結果、アルザスでは「フランスとの対決(フランス語強制に対する反感)」が生じます。
ところがこんどはナチスの台頭。ナチスドイツもまたアルザスを“解放”しますが、その目的は「民族国家の統一」で、その過程では「フランス」だけではなくて「非ドイツ」であるアルザス本来のものすべてが根絶される予定でした。「アルザス問題」の「解決」は「根絶」と「浄化」だったのです。すべての「フランス的なもの」と「アルザス的なもの」は否定されます。その反動は1945年にやってきました。こんどはアルザス人自体が「すべてのドイツ的なもの」を否定するようになったのです。
「ストラスブール」の名前が示すように、交通と言語の要衝に住む人々がバイリンガルになるのはある意味当然のことでしょう。それに一つの言語を強制する野蛮な行為を平気でする人々があちこちにいることには、ため息しか出ません。まあ、言語とか文化とかが理解できないから「(高等教育を受けた)野蛮人」なのでしょうが。