私は自動車をほとんど通勤にしか使いませんが、そのためには「自宅の駐車スペース」と「職場での駐車スペース」の両方が必要です。もちろん通勤経路の「道路」も必要ですし、走っているときには周囲に車間距離が必要です。「駐車スペース」だけでもダブルで必要なのですから(片方を使っているときには片方は基本的に空いている)、日本中で「無駄なスペース」はものすごい広さになっているのではないでしょうか。
【ただいま読書中】『駐車場からのまちづくり ──都市再生のために』国際交通安全学会 編、学芸出版社、2012年、3000円(税別)
車一台に平均8畳分の駐車空間が必要で、多くの街の中心部では地区面積の20~30%が駐車場になっているそうです。アメリカの大規模ショッピングセンターの場合、年間で20時間だけは例外として、あとの営業時間は必ず駐車場のどこかに空きがあるように設計をするのだそうです。こうするとクリスマスシーズン以外は問題ないのですが、そのかわり広大な敷地面積の2/3は駐車場になってしまいます。グーグルアースでアメリカを見たらそういった「広大な駐車場」をあちこちに見つけることができるかもしれません。
駐車場に関する日本の法令は「駐車場法」(1957年制定)。終戦後、急に増えた首都圏の自動車に対応するために「とにかく台数分の駐車場を確保すること」が主目的とされました。それ以後自動車の保有台数は急増しましたが、現在都心部ではある程度の駐車場は確保されています。それどころか一部地域では駐車場が過剰になっているところもあります。そこで本書では「量の確保から、安心で快適な都市環境を支える駐車場政策に転換するべき」という提言を行なっています。単なる施設の“付属物”ではなくて、環境・景観・福祉など様々な視点を織り込んで地域の実情に合わせて質と量をコントロールするものに、と。
「まちづくり」のためには「施設の駐車場」ではなくて「地域の駐車場」であるべきです。そして、そこへのアクセス道路も、都市計画の中で考えることになります。「環境」への配慮から「駐車場緑化」が取り上げられます。外周や中央のしきりに木を植える、地面を芝生にする、など具体的なプランがいくつか取り上げられています。
「移動制約者(障害者や高齢者など)」に対してのスペースも必要です。駐車場の「質」を問うのなら、全体の5~10%を移動制約者用に駐車場スペースを確保する必要があるそうです。「移動制約者」の定義とかその車両のために一台当たりどのくらいのスペースが必要か(車椅子使用者はドアを全開する必要があります)、とかの技術的な論議も必要ですが、その前に「そういった人が社会に出るためにそういったスペースが社会に必要である」という認識が社会全体で共有できることがクリアすべき前提条件でしょう。
アメリカでは、移動制約者という認定がおりると、その自宅前の道路に専用駐車スペースを設置する義務が地方自治体に課せられているそうです。また欧米に共通しているのは、駐車スペースの不正使用に対する厳しい罰則。反則金は交通違反の中で最高レベルだそうです。そういえば近所のショッピングセンターでは、最近になって移動制約者用の駐車スペースに停めている車で、目立つところに「利用許可証」を表示している車が目立つようになりました。この許可証の不正利用さえなければ(イギリスでは貸した方にも罰金だそうです)良いやり方だと思います。私自身将来そのお世話になる可能性はいくらでもありますからね。
地方都市では、中小の平面駐車場の乱立が問題となっています。出入り口が歩道と干渉するし町が空洞化してしまいます。土地の活用法がなくて「とりあえず駐車場」という意識がそういった小さなパーキングを多数生んでいるのですが、ここで問題にするべきは「駐車場の規制」ではなくて「とりあえず駐車場、という意識」ではないか、という問題提起が本書では行われています。
障害者にとって、自動車での移動は快適で安全です。それとまちづくりとを組み合わせると、たとえばロンドンのように中心部では駐車場を減らして行く方針で(たぶんパーク・アンド・ライドになるのでしょう)、その中で例外として身障者用の駐車場だけは増やしていく、というのも一つの“見識”に思えます。日本でそのまま採用するのは現時点では難しそうですが。日本だとまず「身障者はもっと社会に出て良い」ことから始めないといけないでしょうね。