【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

甘くない

2013-04-01 06:58:50 | Weblog

 プロ野球の大谷選手の「二刀流挑戦」に対して「そんなに甘くない」という声がかけられることがあるそうです。私は不思議です。「甘い」から挑戦しているわけではないでしょう? 甘くないからこその「挑戦」なわけです。「甘くないからこその挑戦」に対して「そんなに甘いものじゃない」と言うことばに、「単なる時間つぶし」「無意味の確認」以外に一体どんな意味があるのでしょう?

【ただいま読書中】『夕やけを見ていた男 ──評伝 梶原一騎』斉藤貴男 著、 新潮社、1995年、1748円(税別)

 「おそ松くん」「オバケのQ太郎」「伊賀の影丸」などの強力な漫画を擁する少年サンデーに部数で負けていた少年マガジンは、起死回生の一手として「大河ドラマのような劇画」の連載を考えます。白羽の矢が立ったのは、小説家志望だった梶原一騎。1年間の準備期間ののち昭和41年に始まった「巨人の星」はたちまち大ヒットとなり、梶原一騎は売れっ子原作者となって狂乱スケジュールに支配されます。「柔道一直線」「タイガーマスク」「ジャイアント台風」「鉄人レーサー」「夕やけ番長」「甲子園の土」「男の条件」「キックの鬼」「赤き血のイレブン」「あしたのジョー」……掲載紙や漫画のタイプが重なる場合には、梶原一騎ではなくて高森朝雄名義で原作を書く(「ジャイアント台風」「あしたのジョー」はこちらです)、という手段まで使っています。
 梶原一騎の作品には、右翼的・暴力的な“背骨”が通っていますが、そこには、荒れた少年時代、酒と喧嘩の青年時代、小説家志望の志が挫折したこと……といった彼の人生そのものが濃厚に反映されているようです。
 時代は高度成長期。猛烈サラリーマンは、自分の人生を企業に捧げていることの埋め合わせのように、家庭ではひたすら優しいマイホームパパになっていました。そういった「時代」だからこそ、「無いものねだり」のエアポケットとずしんと突く梶原一騎の「剛球」が大ヒットしたのかもしれません。
 「あしたのジョー」は、初回のオープニングが本当に印象的でした(私は当時少年マガジンで読んで得た記憶を今でも持っています)。東京の片隅のドヤ街、ふらりとやってきた矢吹ジョー。丹下段平との出会い……まだ何も始まっていないのに、大きな予兆を孕んだ回でしたが、実はこれは原作にはなくて、漫画家のちばてつやが原作を膨らませて作り上げたのだそうです。梶原は激怒しますが(彼は原作をいじられることを極度に嫌いました)話し合いで納得。ただ、それからも行き違いはあり、特に大きかったのが「力石」です。あとの構想を知らされていなかったちばは力石をジョーより二回りも大きく描いてしまって、将来の対決が非常に困難になってしまいました(それで「過酷な減量」の名シーンが生まれたのですが)。
 では、梶原は「右翼のファシスト」かと言えば、話はそう単純ではありません。彼の中にはたしかにファシズムを志向する部分がありましたが、彼自身は自分がファシズムの構成要素になることには拒絶的だったのです(ついでですが、権力を志向する者(つまりはほとんどの人間)には、どこかにファシズムを志向する部分があるそうです。だから彼の原作があれだけ日本で受けいれられたのでしょう)。
 極真空手や新日プロレス、異種格闘技戦などにも密接に関係していった梶原一騎は、得意の絶頂にありました。
 そして、絶頂からの転落。せっかく築き上げた「巨星」の地位を、梶原は自分でぶち壊していきます。まるで「乱心」です。親しくしていた人々は次々周辺から去り、健康も害し、そして、逮捕。「落日の日々」を梶原一騎は迎えます。ただ、最後に「家族」が。彼が求め続けた、あれほど嫌っていた「(マイホームの)家族」が彼の最後の日を支えます。おそらくそれによって梶原一騎の人生は(ある程度は)完結したと言えるのでしょう。