私には「将来はバスの運転手になりたい」と思っていた時期があります。当時は自動車の数はとても少なく(マイカーということばが登場する前の時代だったのです)、とても操作が複雑そうな大きな車をプロとして操る人が私にとっては憧れの対象でした。文章を書くのが好きになってからは、しばらく小説家になりたいと思っていました。
成長する途中でいろいろあって、結局どちらともずいぶん遠い職業に就いてしまいました。伊能忠敬ではないのですから、今さら職を変えることはないでしょう。ただ、「何をするか」という“肩書き”ではなくて、「それをどのようにやるか」という“姿勢”だったら、もしかしたら私は「子供時代の自分が憧れていた大人」の“姿勢”に近い線をやっているのではないか、と自負しています。少なくとも、過去の自分の前に出ても恥じなくてすむ程度にはね。「いろいろあってね」くらいの言い訳はちょっとするかもしれませんが。
【ただいま読書中】『四次元半襖の下張り(5)』石森章太郎 作、秋田書店、1980年、330円
最終巻です。押し入れの「霧のトンネル」は、雨宮の心と直結してしまったかのようです。現実と異次元の世界とは「別の存在」ではなくなり、現実は少しずつ異世界に侵食をされていきます。
「現実」で雨宮は、仕事を失い、大家の娘とは道ならぬ恋に落ちてしまいます。二人は絶望し現実からの脱出を願って霧のトンネルを通りますが、二人の前に示されるのは「死の世界」ばかりです。それは二人の絶望が「死の願望」になっていることの反映だったのでしょう。しかしついに二人は「永遠の旅立ち」に成功します。
石森章太郎は、旧友雨宮の手紙に導かれ、霧のトンネルの向こうの世界を垣間見ます。そこは彼にとっては「青春の世界」でした。
私自身にとっても「青春時代」は「霧のトンネルのかなたの世界」となっています。もう一度過ごせるものなら過ごしてみたいとは思いますが、大切に「襖の向こう」にしまっておいた方が良いとも思えます。今だから懐かしいとは思えますが、あの時にはあの時なりの苦悩があったし、それをもう一度味わいたいのかと自問したら、即断はできないんですよね。