国債費が年々増え続けているのは、「毎年赤字なのに倒産しない」というやり口でうまく赤字企業であり続けて「法人税をしっかり払って国を支えよう」としない企業の問題か、そういった企業を優遇している政治の問題か、どちらなんでしょう?
『原子論の歴史 ──復活・確立』板倉聖宣 著、 仮説社、2004年、1800円(税別)
「暗黒の中世」と簡単に言いますが(で、実態はけっこう違うようですが)、「原子論」に関しては本当に中世は「暗黒時代」でした。12世紀ルネサンスでイスラム世界からもたらされたアリストテレスなどの文献がキリスト教と結びついて「スコラ哲学」となります。「異端」を学ぶことが認められたのです。そして「(イタリア)ルネサンス」。ここでアリストテレス“以外”の文献が大量に“発見”されます。その中にエピクロス派(原子論)も含まれていました。新世界発見の風潮や、宗教改革でのゴタゴタなどがあり、キリスト教の原子論否定はそれほど強いものではなく、原子論は大衆化します(その例として、シェークスピアの戯曲に「アトム」が登場することを著者は示します)。
トリチェリノ実験によって「真空」の存在が証明されます。ガッサンディは「原子は神が創造した」という立場からエピクロス派の主張をキリスト教に結びつけて“安全”に原子論を論じることができるようにしました。そして「科学の時代」がやってきます。様々な研究が行われ科学は発展します。その中にも原子論の考え方を取り入れたものはたくさんありました。特に19世紀に発達した「化学」は原子論の確立に大きな力を与えました。
そしてついに英国のドールトンが登場します。1808年の『化学哲学の新体系』で彼は世界で初めて「各元素の原子の相対的な重さの表」を発表しました。今見ると間違いもありますが(たとえば「水」は「水素と酸素が1個ずつ結合したもの」となってます)、「重さの違う原子の結合によって様々な物質ができている」ことをわかりやすく示した点で、ドールトンの功績は大です。
さらに「ブラウン運動」。これを私は高校で「水面の花粉のランダムな動き」と習いましたが、それは間違いで「花粉が膨潤して出てきた微粒子のランダムな動き」ですが、この辺から本書は「真っ当な科学史の本」のようになってしまいます。
本書で重要なのは「古代にも『科学』が存在した」という指摘です。テクノロジーの制約はありますが、いや、技術や政治や宗教などの制約があるのにもかかわらず科学的な思考ができた人々が確実に存在しているのです。「科学の成果」もすごいけれど、「真っ当な思考ができる人」もすごいものです。