【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

女性兵士

2014-07-22 06:57:13 | Weblog

 「集団的自衛権」に関しての街角のインタビューで若い女性が「男の子たちが兵隊に取られるなんて考えられない」なんてことを言っていました。もしもしお嬢さん、徴兵制度は(もし「男女平等」が本当なら)女性にも適用される可能性があるのですよ。実際に第二次世界大戦で英国は女性も徴兵していましたし、イスラエルも男女問わずの兵役義務だったはず。そもそも今の日本で「草食系の男子」と「肉食系の女子」とで、どちらが「良い兵隊」になるでしょう?

【ただいま読書中】『女性電信手の歴史 ──ジェンダーと時代を超えて』トーマス・C・ジェプセン 著、 高橋雄造 訳、 法政大学出版局、2014年、3800円(税別)

 「19世紀の女性」には二つの典型があります。「家庭の中での良妻賢母」と「工場労働者」です。ところが社会的にありふれていたのにそのどちらにも当てはまらず、そして忘れ去られた存在がありました。それが「女性電信手」です。
 欧米では、鉄道網の発展と同時に電信が始まりました。事故情報や列車の運行情報を迅速に伝える必要があったのです。工業化社会の到来と交通及び通信速度の革命的増大は社会構造を変革し、新しいタイプの労働者(新中産階級、技術労働者)が出現します。新しい技術職である電信手ができたとき、そこには「ジェンダーの区別」は存在しませんでした。電信線の向こう側にいるのが男か女かを気にする人は(ほとんど)いなかったのです。モールスとヴェールの公開実験から2年後の1846年、セーラ・バグリーがニューヨーク・アンド・ボストン・マグネティック・テレグラフ社のマサチューセッツ州ローウェル局の主任になります。40年代後半に米国全土に電信網が広がり、字が書けて電気と電信機を理解できる人が必要とされ、オペレーターとして女性が大量に採用されます。南北戦争が終わり男性が復員しても女性の数は減りませんでした。さらに(モールス信号にかわる)テレタイプが導入されて「テレタイピスト」という“女性の職業”が確立して、電信操作は“女性の仕事”とみなされるようになります。ヨーロッパでも鉄道電信と商業電信局の両方で1850~60年代に女性オペレーターが増えます。海底ケーブルで世界が結ばれると世界中で(イスラム以外で)女性オペレーターが増えていきます。
 労働時間はオフィスによってまちまちですが、標準的な日勤は10時間、夜勤は7時間半でした。夜勤や週末勤務に割り増しはなく、それが労働争議を呼んで、20世紀初頭には、電信オペレーターは男性が週54時間労働・女性は48時間労働となります。女性の夜勤は不当労働行為でした(堅気の女性は夜は出歩かないものだったのです)。もっとも鉄道電信オペレーターの場合には、決まった労働時間はないも同然でした。オペレーターが1人勤務で列車が遅延したら残業するしかないのですから。
 「電信手けいれん(ガラスアーム)」という職業病がありました。腕の酷使による手の障害です。換気の悪いところで座り続けるため、結核の餌食になる人も多く、汚染された水でチフスで死亡する人も多くいました。
 社会の中で電信オペレーターは(女も男も)特別な存在として見られました。オペレーターにとってこの職業は、生計の道であると同時に、社会階層を上昇するための手段でした。オペレーターから成功した人としては、トーマス・エジソンやアンドルー・カーネギーの名前がよく挙げられます。当時の女性にも、“成功例”はありました。「新しさの二重奏」(社会が新しくなり、そこに新しい職業(女性の自活の道)が生まれる)によって、女性の地位が向上したようです。
 教育も必要です。電信手になった女性はグラマースクール(中学校)は卒業していて、中にはハイスクール卒の人もいました。さらに電信手になるために、商業高校や専門学校に通います。そうして育てられた女性電信手は、結婚までの腰掛け就職として、男性よりは安い(2/3~3/4)賃金となっていました(それでも女性教師と同等、工場労働者や奉公人よりは上)。ごくごく少数の女性は管理職にまで出世するのですが、それは“例外”です。
 昇給を望んでも拒絶されるのがオチですから、19世紀の女性電信オペレーターは「移動」を選択しました。遠隔地の(より給料の高い)欠員を見つけてそちらに勤務地を変えるのです。なかなか現代的な生き方にも見えます。家父長制社会の中で、女性(オペレーター)は「移動の自由」を獲得したのです。さらに腕の良いオペレーターで、結婚・出産後自宅に電信線を引かせて、子育てをしながら自宅勤務をした人もいます。その子供たちも当然のように成長後はオペレーターになっていきました。
 南北戦争で女性は初めて「賃仕事」をするようになりました。男が出征して労働力不足となり、女性も生活費を必要としたからです。その仕事の一つが電信手だったのですが、男の側からの反発も強くありました。「女は腕が悪い」「女は不当に優遇されている」「男に敬意を示さない」などです。本書には「テレグラファー」誌上での論争が紹介されていますが、いつの時代も似た“論争”が行われるものだ、と感心します。しかし、19世紀であっても「ジェンダー」について、きちんと考察する人は考察しています。感情的な人間はやはり感情的ですが。
 1870年代頃から「電信ロマン」という小説ジャンルが起き、主に女性に人気を博します。ストーリーは、男女が電信で愛を育み、最後は結婚して女性電信オペレーターは退職して良妻賢母に、が基本です。当時は「電信」そのものが「ロマンチック」だったことも小説に効果を与えたのでしょう。
 労働争議も多発します。女性側の要求は「同一労働同一賃金」と単純です。それに反対する側の主張はやたらと複雑です。そこに注目したのが、婦人参政権運動団体です。女性オペレーターの待遇改善には法的手段が効果的で、そのためには議員選出が必要、という主張です。ストライキも起きますが、新聞での女性の扱いは「グラマー・ショット」「美人コンテスト」「涙をさそう話」がしばしば中心に置かれました。「STAP細胞」のときに「割烹着」に注目したマスコミと良い勝負ですね。ストライキの焦点は「低賃金による生活困窮」「男女不平等」などシリアスな問題だったのですが。そのためアメリカの女性オペレーターは労働組合に熱心に取り組みますが、ヨーロッパではこの職種は国家公務員と同等と見なされていて、アメリカほどには労働組合やストライキは派手に動きませんでした。
 1920年代にモールスからテレタイプに移行し、そのころ電話も普及が進みます。こういったテクノロジーの進歩と社会の変化により、電信手は姿を消しました。こんど女性たちの受け皿となったのは、タイピストやコンピュータープログラミングや電話交換手等でした。そして、ネットの普及により「このメールを発しているのは、男性か女性か」がまた問題となります。そのことに著者は強い既視感を抱きます。歴史は繰り返しているようです。