【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

コメンテーター

2010-05-20 18:42:20 | Weblog
テレビで群れているコメンテーターの多くに私が好感を持てないのは、そのコメントが浅薄で単なる印象批評だったりレトリックを駆使して人に強い印象を与えることだけを狙ったものであることが大きな理由ですが、もう一つ、彼らがコミュニケーション技術が下手くそなことも大きな要因です。彼らは人の話をちゃんと聞かないでしょ? 耳がなくて口だけの存在って、うざいだけ。

【ただいま読書中】『剣嵐の大地(3) 氷と炎の歌3』ジョージ・R・R・マーティン 著、 岡部宏之 訳、 早川書房、2007年、2800円(税別)

少しずつ話は収束を始めます。主要な視点人物は北を目指し、その結果出会うべき人が出会い、枝が何本か切り払われて(中にはずいぶん太い枝もありましたが)木や林の見通しがよくなりいくつもの小川が合流して川になったかのようにストーリーはしずしずと進み始めます。「3」とか「7」とかの数字が何度も登場しますが(特に「3つの裏切り」が気になります)、そういえば「破られた宣誓」はいくつだったっけ?と私は皮肉な思いを噛みしめます。
本書の表紙は、どう見てもサムウェル・ターリーです。デブでぐずでのろまなおちこぼれ。たしか最近は壁の向こうで野生人や異形人に追われて、ぐずぐず泣きながら退却をしていたはずですが、表紙絵ではなんだか颯爽としています。実際に本書で、地下の秘密通路から登場したときには、まるで“ヒーロー”のようです。基本キャラはもちろんまだ弱虫なのですが、それでもそれを制して決断をすることができるようになっています。「男子三日会わざれば刮目して見るべし」ですな。
「壁」に野生人の大部隊(おそらく十万以上)が殺到します。人間だけではなくて巨人やマンモスまで混じっています。守備をする夜警団に援軍は期待できません。隊員は次々倒れ、いつしかジョンが指揮を執ることになってしまいます。本人がそれを望んだわけではないのですが。
わが愛する“小鬼”ティリオンは、「王殺し」として裁判(あるいは茶番)にかけられています。すべての証拠と証人は彼に対して「有罪!」と叫び、擁護するものは皆無。しかしそこに過去の因縁が立ち上がり……(ちなみに「殺し屋(スレイヤーslayer)」と呼ばれる者は……ジェイム、ティリオンそして、サム。なんとも珍妙な取り合わせです(プリエンヌも王殺しと呼ばれましたが、誤解は解けたから除外します)。そういえば「手を切られた男」は二人、ジェイムとダヴォスで、「処女妻(あるいは処女の未亡人)」も二人。結婚披露宴で公然と殺人が行なわれるのも2回。これらもどこかで“キリ”をよくするために三人(3回)になるのでしょうか)
壁で孤軍奮闘していたジョンもまた「裏切りの罪」を問われて即席の軍事裁判にかけられます。「現実の世界」を見ることよりも「おれはお前なんか嫌いだ」の感情の方を優先する人が、世界を動かそうとしています。
ティリオンとジョンは意図的に死地に追い込まれます。それも“味方”の手によって。それも、一度は助かったと思わせておいてもう一度落とされるのですから、運命は念が入っています。しかし……しかし……しかし……ここで二人の心に仕込まれた“毒”があとでどのように育っていくのか、気になります。
……ということで、「乱鴉の饗宴 氷と炎の歌4」に続く。また図書館から借りてこなくては。



2010-05-19 19:00:23 | Weblog
挫折を知らない人間は、どんな夢を抱くのでしょう。
世界征服?

【ただいま読書中】『剣嵐の大地(2) 氷と炎の歌3』ジョージ・R・R・マーティン 著、 岡部宏之 訳、 早川書房、2006年、2800円(税別)

死んだロバート王の命令にまだ忠誠を尽くしている軍団がいます。もうぼろぼろになっていますが。あるいは戦いに負けて膝を屈し、それまでの仲間から裏切り者呼ばわりをされる人もいます。反逆者として地下牢に放り込まれていたのに、突然貴族に列せられる人もいます。邪悪な魔女のはずなのに、人類の滅亡を防ぐために戦っている(かのように見える)人もいます。
そして失った王国を回復しようとするデーナリス・ターガリエンは、その途上の都市を攻略し続けます。目的は奴隷の解放。解放された奴隷たちはデーナリスを「母」と讃えます。彼女に従う人間はどんどん増え、あたりはさながら移動する王国のようになってきています。
エダード・スタークの子どもたちは(結婚させられた長女サンサ以外は)主に北部を移動し続け、その動線は時にきわどく接近することがあります。残念ながら交わることはないのですが。ただ、末っ子がずっと登場しません。これが何を意味しているのか……死んだのか、文字通りの伏線なのか、こちらにはまだわかりません。
さらには、それぞれの貴族はそれぞれの「王」に従っていたはずなのに、合従連衡が繰り返されて勢力図は複雑になり、放浪の軍団が事態をさらに悪化させます。もちろん陰謀は盛んに行なわれています。もう、誰が誰の味方なのか、わけがわかりません。旗印から味方と信じて近づいたら最近親玉と喧嘩別れをしたばかりで敵になっていた、なんてことが平然と繰り返されるのです。どの王国でも。戦国時代の習いとはいえ、これはしんどい状況です。情報不足の中で誰を信じるべきか瞬時に判断しなければならないのですから。「魔法の力」が欲しくなるのは、こういった時でしょう。別に魔力で天地を動かす必要はありません。少なくとも情報を仕入れることができたら大助かりなのです。
読者は幸いなことに、本書を読むのに魔法は必要としません。さまざまな局面で少しずつ情報を知らされます。ただし著者にじらされながら、ですが。「氷と炎の歌1」のときからずっと気になっていたジョン・スノウの母親のことも、ここでやっと名前が知らされます。ただしそれを知るのは、ジョンではなくてアリアですが。ただ、エダード・スタークの“恋物語”については、ブランも逃避行の途中に(中途半端に思わせぶりに)聞かされていることから見ると、けっこう世間には知られている様子です。知らないのはエダードの家族だけなのかも。
アリアがやっと兄と母親のすぐそば(まっすぐ歩けば数分間のところ)にたどり着いたとき、事件が勃発します。兄弟姉妹たちの動線は、またも交わりません。
一人の王が死に、そしてまた別の王が死にます。次に死ぬのは誰か? 暗い予感に満ちて物語は進んでいきます。「おう、あんた、何にも知らないんだね」と誰かに囁かれながら、読者はよろよろとそれについていきます。



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落差

2010-05-18 18:26:23 | Weblog
落差
マスコミが誰かを高く祭り上げようとしているときには注意した方がよいでしょう。人は低いところから落ちても大したことにはなりません。でも高いところから落ちたら、それはおおごとになります。そしてマスコミにとって、人が高いところから落ちていくシーンは“飯の種”だから、そのための準備工作も必要なのです。

【ただいま読書中】『剣嵐の大地(1) 氷と炎の歌3』ジョージ・R・R・マーティン 著、 岡部宏之 訳、 早川書房、2006、2800円(税別)

いやもう、何という厚さ。「氷と炎の歌3」は2段組で400ページ級の単行本3冊での発行です。著者自身がもう楽しくて楽しくて筆が止まらなくなったのかな? 読む方も楽しいのですが、ちょっと手が疲れます。家の中で、トイレに行く途中も惜しくて本を持って歩きながら読んでますので。
キングスランディングの攻囲戦は終わりました。政治・軍事・民政すべてにわたってほとんど孤軍奮闘で頑張っていた“小鬼”ティリオンは、その報酬として、民衆からの憎悪と父や姉からの侮蔑と権力の剥奪と暗殺未遂のプレゼントを得ます。著者はティリオンに過酷です。ティリオンが本当に望んでいるのは「あるがままの自分を受け入れてもらう(できたら愛してもらう)」ことだけなのに、それはちらつかされるだけで決して与えられず、さらに「あるがままの自分」はどんどん破壊されていく(今回は顔にでっかい刀傷、鼻は半分削がれてしまう)のですから。
北方からは野生人の民族大移動だけではなくて、魔法的な存在である異形人までもが南下を始めます。ただしこちらは協力体制にあるわけではなくて、敵対関係にあるらしいことがわかります。そしてその一行の中に、エダード・スタークの私生児ジョン・スノウの姿も混じっていました。
エダード・スタークの嗣子ロブは、「北の王」を名乗って以来、戦闘には勝ち続けますがそれ以外では失敗続きで、自身の本拠地を失い北部の同盟は瓦解します。
ロブの弟ブランは、「飛ぶことを学ぶ」ために北を目指しています。ロブの妹アリアは男の子に化けたりまた女の子に戻されたりしながらやはり王国の中をさ迷っています。アリアの姉サンサは、「王」との望まぬ結婚からは逃げ出せますが、逃げ道の先にはまた別の望まぬ結婚が待っています。
エダード・スタークの子どもたちの運命がこの物語の重要な縦糸ですが、それぞれがどのような模様を描き出すのか彼らは知らずに生き続けています。もちろんその“模様”は、他の縦糸や横糸との絡み合いから生まれてくるものなのですが。
そして「氷と炎」について興味深い言葉が発せられます。「もし、氷が燃えることができるなら、その場合は、愛と憎しみは合致する」と。
そして本書は、大変印象深いシーンでページを閉じます。海の向こうに逃亡中の前王朝の末裔デーナリス・ターガリエンはついに“自分の軍団”を手に入れます。そしてそれで行なった“初仕事”は、奴隷商人の撲滅だったのです。彼女は彼女なりに“正義”を行なう支配者であろうとしているようです。しかしその“大義”は、誰かに理解されるものでしょうか。私はちょっと不安です。




一人

2010-05-17 18:41:11 | Weblog
「一人わびしく部屋で食事」というのはよく言われる言葉ですが、ではその逆で「一人朗らかに部屋で食事」をしているのは、どうでしょう? 一人でどんちゃんひたすら明るく食事をしている光景というのは、それはそれでちょっと怖いものを感じるのですが……

【ただいま読書中】『こちら異星人対策局』ゴードン・R・ディクソン 著、 斉藤伯好 訳、 早川書房(ハヤカワ文庫SF1224)、1998年、680円(税別)

銀河系には(知られている限りで)927の種族が住み、うち43が「進んだ種族」として銀河評議会を作っていました。
ファーストコンタクト後、地球には異星人対策局が作られました。そこにこれまでに例がない身分の高いオプリンキア人レジラが地球にやってくるという報せが。その接待を仰せつかったのが、さえない三等事務官のトム・ペアレントと妻のルーシー(と犬のレックス)。レジラは、ペットを飼っているごく普通の地球人の家族の家で一日を過ごしたい、とご所望なのです。
地球には、この“チャンス”を利用して、“後進星”の地球の地位を向上させよう、という目論見があります(戦後、日本が国連に入れて欲しかったのと似た状況です。ただし「差」はとてつもなく大きいのですが。オプリンキア人など、数万年前から宇宙旅行をしているのですから)。ただし防衛局は「異星人はなにか悪いことを企んでいるに違いない」と思いこんでいます。
で次の朝、二人は平凡な犬のレックスがテレパシーを使えるようになっているのを発見します。「ぼく良い子、フリスビーする?」と。大変な事態の勃発です。
ところがこれは、ただのオープニングにすぎませんでした。銀河でも有数の独裁帝国ジャクタルの大使館でのパーティーでは「ラ・マルセイエーズ」の大合唱が行なわれ、そのせいでトムとルーシー(とレックス)は無任所大使として、地球人で初めて銀河に旅立つことになってしまったのです。ところが“初仕事”は、暗殺者ギルドに強制徴募されて見習い暗殺者になること。そして銀河評議会の会場で決闘の申し込み。話はどんどんはちゃめちゃになっていきます。
ただ、銀河にでてからは、トムが論理と交渉と暴力の役割を分担してしまい、ルーシーの出番ががくんと減ってしまうのが残念です。取りあえずルーシーの“武器”は、超能力にまで昇華した“女の直感”。原理主義のフェミニストだったらそのへんに目くじらを立てるかもしれませんが、これだけはちゃめちゃに異星人の文化を紹介している本ですから、地球上の「男と女」という“異文化”のパロディーも狙っている、と読むのが正解なのかもしれません。本書では「地上最強のペア」で片付けられていますが。
さて、地球の抱える大問題を解決するためにクスクスシトル人の抱えているシャーク人問題を解決した二人は、そこからさらにもっと重大な問題、銀河全体を揺るがす(銀河の全生命が絶滅するかどうかの)問題に巻き込まれていきます。いやもう無茶苦茶でございまする。読んでいくうちに頭が気持ちよく空っぽになってしまいそうです。ほら、たたくとカーンといい音が。
……しかしレックスは、とうとう最後までフリスビーで遊んでもらえませんでした。可哀想だなあ。



諸悪の根源

2010-05-16 18:02:41 | Weblog
汚いことばや汚い行動をする子どもは、それをテレビや漫画からだけではなくて、身近な大人からも学んでいるはずです。特に「自分は悪くない。子どもが悪くなったのは、テレビが諸悪の根源」と言いたがる親からは、大量に学んでいることでしょう。

【ただいま読書中】『パピヨン(下)』アンリ・シャリエール 著、 平井啓之 訳、 河出文庫、1988年、600円

パピヨンは、精神病になったふりをしてまんまと看守と医者をだまして、病棟に潜り込みます。病棟からは容易に脱出できるので、そこから大樽を二つ縛りつけた筏にまたがって大西洋に出よう、というわけです。しかし荒浪で樽は壊れ、相棒は死んでしまいます。這々の体で病棟に舞い戻ったパピヨンは、少しずつ“正気”に戻り、こんどは悪魔島へ移動します。ここは本来は政治犯のための島で、かつてはドレフュスの流刑地でもありました。
1941年、パピヨンは35歳になっています。捕まってから11年目。彼はまた脱獄の計画を練ります。こんどで9回目の脱獄を。
悪魔島の回りは荒磯で、泳いでの脱出は不可能とされていました。しかしパピヨンは、魚捕りを口実に島の回りを偵察し、一つのルートを発見します。まずは実験です。丈夫な麻袋に椰子の実を詰めたものを海に放り込むと、袋は引き波によって一度は沖に運ばれますが、すぐにまた島に打ち寄せられて岩にぶつかって木っ端微塵となりました。これではダメです。パピヨンは海を観察し続け、「7つめの波」が常に他の波より大きくそれが袋を島に投げ返すことを発見します。ならば、その「7つめの大波が砕けて引いていく流れに乗れば、沖に出られるはずです。念入りに実験を繰り返し、パピヨンはついに“それ”が可能である確信を得ます。しかも沖に出た袋はそのまま西(行きたい方向)に向かっています。
ついに脱走を決行。椰子の実を詰めた袋にまたがり、太陽にじりじりと焼かれながら、パピヨンはついに大陸に上陸します。しかしまだ「成功」ではありません。叢林の中を、誰にも見つからず、猛獣にも襲われず、「安全な地」まで移動しなければならないのです。まずパピヨンが目指すのは中国人専用監獄です。そこで早速仲間を得、こんどは本格的な船を手に入れて、さあ、出帆です。
そしてついに英領ギアナの首都ジョージタウンに上陸。戦前は強制送還をされましたが、今は戦時。パピヨンには幸いなことに、扱いが違っているのです。ただし、真っ当な商売で生きていくことは、大変です。パピヨンは仲間や恋人とさまざまな商売に手を出し、それぞれ成功を収めますが、やはりどうしても社会のはみ出しものとなってしまいます。パピヨンたちはジョージタウンからも脱走します。実はこれは重罪です。彼らは旅券をもっていないのですから。
嵐でボロボロになってたどり着いたのはヴェネズエラ。ここも様変わりしていました。以前は道路工事に使役されてからフランス流刑地に強制送還でしたが、戦時中は中立地帯。しかし「不審なフランス人(しかも徒刑場からの脱走者)」ということで、パピヨンたちはエル・ドラドの徒刑場に放り込まれてしまいます。しかしそこでもパピヨンは無駄働きをしません。川底の砂からダイヤモンドをいくつも見つけたりしています。
ヴェネズエラに革命が起き、ついにパピヨンは「自由」になります。1944年のことでした。そして彼の最後の「脱走」は、「反社会的な世界」から「真っ当な生活」への「脱走」でした。
パピヨン自体の人生も「強い物語」ですが、この物語のあちらこちらに散りばめられているいろいろな徒刑囚たちの人生もまた印象的です。「単なる犯罪者」はいないことが(犯罪者の目から)生き生きと描かれているという、珍しい本です。



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強化

2010-05-15 17:34:31 | Weblog
ある人が持っている強い信念を頭から否定してあげることは、結局その強化につながるだけです。

【ただいま読書中】『パピヨン(中)』アンリ・シャリエール 著、 平井啓之 訳、 河出文庫、1988年、600円

コロンビアの監獄からもパピヨンは何度か脱走を試みますが、これまでの周到な計画に基づくものとは違って、金や力やダイナマイトに頼った荒っぽいやり口になっています。当然のようにことごとく失敗続き。そしてとうとうフランスの徒刑場にパピヨンは戻されてしまいます。両踵を骨折した状態で。軍事法廷でパピヨンとその仲間は、脱走の罪で重禁固2年を宣告されます。流刑地からさらに島に流され、そこからさらに小島に移動、そこでさらに独房に幽閉され乏しい食料と沈黙をひたすら強制され続ける2年間です。この非人間的な扱いに絶望し、独房内で自殺する人もいましたが、パピヨンは耐え抜きます。
ここでの描写には、たとえ犯罪者であってもここまで非人間的な扱いをするのが“文明社会”のやり方なのか?という疑問の提起と抗議とが込められているように読めます。ただし、著者はそのどちらも“声高”には行ないません。どちらかといえば淡々と述べ続けます。
小島の独房から島(皮肉なことに名前は救済島)に戻ってもパピヨンは脱走の意思を強力に保ち続けます。信頼できる協力者を見つけ、少しずつ筏の部品を揃えていきます。部品の隠し場所として、刑務所所長の自宅の庭や墓場まで使うのですから、腹が据わっています。しかし計画は発覚。4ヶ月かけて準備を整えいよいよ最後の部品をはめ込む瞬間にパピヨンは逮捕され、またも重禁固を宣告されます。ただしこんどは8年。体がなまらないように独房の中を行ったり来たりの運動を続け、心がなまらないように脱走と復讐の計画を練り続けるパピヨンですが、18ヶ月後に壊血病になってしまいます。それがわかったのは、“改革派”の軍医が定期的な検診を実施したからでした。10日ごとに独房から出されて庭で診察を受ける、この行為自体が囚人には“恩寵”“奇跡”でした。日光を浴び外気に触れ他人が存在することを目撃できしかもちょっとした会話までできるのですから。さらに待遇は改善されます。毎日浜辺に行って水浴びをすることが許されたのです。その往復の時、鱶がうようよいる海に波止場から落ちた子どもを救おうと海に飛び込んだパピヨンは、救助はできなかったものの(ボートが先行しました)その“善行”が認められ、重禁固刑停止の特赦を受けます。
面白いのは、「脱走の失敗」を繰り返す内にパピヨンの“地位”が向上することです。ヤクザ仲間内だけではなくて、監督官の側でも。きっと天性のリーダーなのでしょう。そしてついに、島で起きた反乱(未遂)事件までもが、パピヨンの力で「なかったこと」にされます。もしも彼がヤクザではなくて体制側に属して生きていたら、きっとひとかどの人物になったのではないか、と思えます。
戦争が始まり、島ではペタン派とド・ゴール派の対立が起きますが、パピヨンはどちらにも属しません。彼にはそういった「体制の話」は無縁なのです。彼は一人で飛ぶパピヨンです。



一流から三流までの区別

2010-05-14 18:47:20 | Weblog
三流のものしかわからない人間には、一流も二流もきちんとした区別はつきません。「少なくとも三流ではない」と言えるだけ。一流のものしか知らない人間も同様に、二流と三流のきちんとした区別はつきません。しかし、二流のものしか知らない人間は、一流と三流の区別を明確につけることができます。

【ただいま読書中】『積分の歴史 ──アルキメデスからコーシー、リーマンまで』ニキフォロフスキー 著、 馬場良和 訳、 現代数学社、1993年、2446

アルキメデスは紀元前287年生まれ、防衛用器機の設計・建築をし、数学だけではなくて、静力学、水力学、天文学、工学の研究を行ないました。彼が行なった円錐の体積や円の表面積の計算は、積分そのものは用いていませんでしたが、積分の基礎を築いています。
ローマころから西欧で数学は衰退しますが、アラビア数学者はアルキメデスの方法(取りつくし法)を習得し放物線の求積などを行ないました。
大きな進歩は16~17世紀に活動したケプラーによってもたらされました。ケプラーは自分の第二法則(惑星の運動に要する時間はその動径ベクトルによって掃かれる面積に比例する)を立証するためには、楕円の扇型の面積を計算しなければなりませんでした(当時それは未解決の問題でした)。17世紀カヴァリエリは「不可分法」で積分の方法論の一般化を試みます。ガリレオの死の直前にその助手を務めたトリチェリは、不可分法を改良しました。
フェルマーは、デカルトとは解析幾何学の、パスカルとは確率論の基礎を築きました。また、フェルマーが発見した接線を引く方法は「微分」の応用です(ここからニュートンが微分を着想したのです)。フェルマーの光学の原理「光が二点間を通過する際には、最短時間で行けるような経路を通る」は20世紀にルイ・ドブロイとシュレディンガーによる物質の波動性の研究に繋がります。
そして、ロベスヴァール、パスカル、ウォリス、バローと積分の概念は発展していき、さらに微分と積分が逆演算であることが明らかにされます。そしてそれを受け継いだのがニュートンとライプニッツ。この二人によって17世紀の数学者たちの基礎的な課題「曲線に接線を引くこと(→微分)」と「求積問題(→積分)」に明確な関連づけがされたのです。ニュートンの業績は有名ですが、ライプニッツもこの分野ではニュートンに負けてはいません。積分記号を導入し、演算子のレベルで微分と積分の効果が逆であることを明確にしています。なお「積分」ということばは、ライプニッツの協力者となったヨハン・ベルヌーイが導入しています。
18~19世紀に、数学(だけではなくて科学や社会)は大きく変化しました。数学は、力学だけではなくて、物理学や経済学やテクノロジーでも大きく働くようになります。そこで登場するのが、コーシーとリーマンです。しかし本書は、そこでぷつんと閉じられます。リーマンより後はわざと触れられないのです。それにはまた別の一冊が必要になるのでしょう。
本書では単に「積分」が説明されるだけではありません。社会と数学の関係についても熱心に語られます。社会の中に数学があること(社会でどのように数学が認識され使われたか)と、数学の中にも社会があること(数学者同士の人間関係)がきちんと示され、それが本書の特徴となっています。
私自身は本書に載っている数式でゲップが出る程度の素養しかありませんので、一度高校の教科書に戻って基礎から勉強し直したくなりました。そういえばこの前本屋をうろうろしたら、大人のために高校の勉強をもう一度、とかいった本が並んでいましたっけ。



2010-05-13 18:43:25 | Weblog
恩に関しては、売り越し勘定になっている方が(それもその量が多いほど)、人生のバランスシートは健全だと言えそうです。

【ただいま読書中】『パピヨン(上)』アンリ・シャリエール 著、 平井啓之 訳、 河出文庫、1988年、600円

『破獄』を読んだら、こんどは図書館の棚からこの本に「自分も読め」と呼ばれました。
1931年、25歳のやくざパピヨンは、身に覚えのない(と本人は主張している)殺人で無期懲役を言い渡されます。パピヨンは控訴はせず、さっさと脱獄して復讐することを誓います。独房の中で精密な復讐計画を練り続けることで、自分がはめられたことと無期懲役を喰らったことの二つの重大な衝撃からパピヨンは自分自身を守っているようです。
仏領ギアナの流刑地に送られたパピヨンは、仲間二人と首尾良く脱走します。船を入手するために立ち寄ったのはレプラ患者が隔離されている島。彼らは、流刑を受けた上にレプラとなって流刑地からも隔離された身の上ですが、パピヨンたちの脱走に“善意”から手を貸してくれます。小さなカヌーで大西洋に漕ぎだし、西を目指します。たどり着いたのは(英領)トリニダッド。そこで得られた「自由」とそこの人々から示された「信頼」によって、パピヨンは「別の人間」へと変貌します。イギリスは仏領からの逃亡者を受け入れはしませんが、強制送還もしません。2週間くらいの猶予を与えカヌーをきちんと整備してから「ヴェネズエラに行くことは勧めない。あそこでは、逮捕されてフランス官憲に引き渡す前に道路工事に使役されるから」というアドバイスをくれます。
コロンビアでは密入国の罪で逮捕されますが(フランスでの殺人罪は「当方は感知せず」だそうです)、パピヨンはその獄舎からも脱走します。目指すのは、国境がまだ不確定で、官憲の手が及ばない“凶暴なインディオ”が住む地帯グアジラ。パピヨンはインディオの村に受け入れられます。彼はレプラ患者の村にも即座に受け入れられましたが、これは一種の“才能”かもしれません。
グアジラでパピヨンは、皆に愛され受け入れられ「避難所での休息」を楽しみますが、それでも文明の地に帰ろうと決心します。これもまた一種の「脱走」でしょう。しかしパピヨンが歩む道はまっすぐコロンビアの地下牢(満潮のたびに海水が床上浸水してくる)につながっていました。“野蛮の地”には自由と愛があり、“文明の地”では鉄格子と虐待です。やれやれ。
そうそう、グアジラで家畜に「流行性口内炎」という病気がある、という記述がちらっとあるのですが、これはもしかして今日本で大変なことになっている(でも政府もマスコミも妙に口と腰が重かった)口蹄疫のことかな?



命令形

2010-05-12 18:47:25 | Weblog
「ご了承ください」に対して、「了承できません」と言い返すことは可能でしたっけ?

【ただいま読書中】『魂の重さの量り方』レン・フィッシャー 著、 林一 訳、 新潮社、2006年、1800円(税別)

『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』で最終章に載っていたマクドゥーガルの「魂の重さ測定実験」で本書は始まります。マクドゥーガルは「魂が空間を占める物体なら、その重さは測定可能なはずだ。もし魂が“物体”ではないのなら、それは我々の空間に対する認識の変容を強いるはずだ」を出発点としてこの実験を始めました。著者は「マクドゥーガルが質量と重さを区別していないこと」を指摘した上で「質量の由来に関する物理学者のノート」を提示します。あら、要するにまだ「質量とは何か」ははっきりわかっていないんですね。すると「質量も重さももたない物質」を仮定することは非科学的とは言えないわけ。なんだか話が意外な展開になってきました。
ガリレオの章も興味深い書き方をされていますが、その中で、著者が子どもの時に「羽は板より遅く落ちる」と父親に対して主張したときに父親は空気抵抗について教えると同時に「平らな板の上に羽をのせて、肩の高さから落とす」実験をして、空気抵抗から板に守られた羽は板と同じ速度で落ちることを示した、というエピソードが特に印象的です。親は子どもに対してこうあるべき、と思いました。しかしガリレオの章は最後には辛辣な面を見せます。ガリレオ自身の(辛辣で皮肉をばらまいて敵を多く作る)態度を問題視しているように見せておいて、実はガリレオを迫害した態度をポジティブに評価してみせるのですから。ガリレオの敵たちが宗教裁判で脅して自説を撤回させ自宅幽閉としたことによって、ガリレオは腰を落ち着けて本を書くことができました。これが近代科学に非常に有益だったのだから、ガリレオを迫害してくれてありがとう、というわけです。
本書では、ヤングとニュートン崇拝者との対立や、避雷針にまつわる(今の観点からは)奇妙な論争、近代錬金術の意外な実相など、科学史から幅広く話題を集めて「科学とは何か」について意外なアプローチをしてくれます。世の中にはこんなに幅広い教養を持つ人がいるんだな、と感心したら、ご本人によると「物理学から生物学に転身した」人なのだそうです。さらに「ビスケットを崩壊させずに紅茶に浸す研究」でイグ・ノーベル賞を受賞しているのだそうで……こんな人が一人友達にいたら、人生から退屈が追放されそうです。



切れる包丁

2010-05-11 18:41:25 | Weblog
先週家内が数日留守をしたので、久しぶり(2年ぶりくらいかな)に自分と子どものための家事をやることになりました。料理を作ろうと思ったら、妙に包丁が切れます。そういえば、普段は自分で研いでいるのに最近専門家にやってもらったと言っていたな、と思い出して、自分の手を切らないように注意しましたが、まな板の上はともかく、怖いのは洗うときですね。刃そのものを触るわけですから。そういえば最近家内の指先に傷テープが貼ってあったっけ、と遅ればせに思い出します。う~む、夫婦の会話が不足している?

【ただいま読書中】『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』アレックス・バーザ 著、 鈴木南日子 訳、 エクスナレッジ、2009年、2200円(税別)

目次
第1章 フランケンシュタインの実験室
第2章 センソラマ
第3章 トータル・リコール
第4章 睡眠の話
第5章 動物の話
第6章 恋愛の話
第7章 赤ちゃんの話
第8章 トイレの読書愛好家のために
第9章 ハイド氏の作り方
第10章 最後

著者が「これは奇想天外だ」と感じるかどうかだけを基準に選択された科学実験の数々が充満してこぼれそうになっている本です。ただナチスの“実験(拷問)”のような科学雑誌に公表されないようなものは落とされています。また、実話であることも掲載条件です。グロテスクな実験やらユーモラスなものやら、もう様々なジャンルの様々な“科学実験”がジェットコースターのように読者を科学のちょっと変わった世界に運んでいってくれます。
無難なところで第2章(感覚に関する実験)から「ワインのテイスティング実験」はどうでしょう。ワイン専門家54人を招いての実験ですが、そこで出されたうちの一つは赤く着色された白ワイン。ところが専門家はみごとにだまされちゃうんですね。(なお、これは専門家を馬鹿にするための実験ではなくて、脳は同時に複数の感覚情報を処理しているがその中でも特に視覚情報が優越することを示すためのものでした)
あるいはコーラ。2005年にベイラー医科大学のリード・モンタギューが目隠しテストをすると、ほとんどの人はコークとペプシの区別ができなかったそうです。さらに、ラベルのあるなしで同じコーラを飲んでもらうと、コーク好きの人たちは(同じコークなのに)「コカ・コーラ」のラベルがある方が美味しく感じました(ペプシ好きのグループはそこまで“ペプシのラベル”に反応をしませんでした)。つまり「コークの美味しさ」は、広告によって刷り込まれているらしいのです。(モンタギューは、飲む人の主観だけではなくて、MRIで客観的に脳の活動も調べ、「脳の配線」が広告によって決定(改変)されている可能性を示唆しています)
揺れる吊り橋の上での心理学実験(恐怖と性的興奮の関係)のことは読んだことがあります。ちゃんと安全な場所での対照実験も行なわれているのが笑えます。夫婦の性交中の心拍数を測定する最初の実験は1927年だったんですね。う~む、この実験では“実験動物”になる自信が私にはありません。
赤ちゃんに関する実験も様々です。特定の状況でだけ赤ちゃんを驚かしたり、覆面をして赤ちゃんをくすぐってみたり、人間とチンパンジーの赤ちゃんを一緒に育ててみたり……「布製の母」(1950年代にウィスコンシン大学のハリー・ハーロウが行なった、アカゲザルの赤ちゃんを「布製の暖かい“母”」と「金属製だが乳が出る“母”」で育てる実験)も聞いた覚えがありますが、ハーロウは「母性を構成する要素」を科学的に追究しています。その要素は……読んだらきっとがっかりします。しかし、「おしめの甘い香り」実験では母性に対する信頼が回復するでしょう。
服従実験(別の実験だ、と被験者をだまして役者に電気ショックを与えさせる)では、人は容易に“強制収容所の職員”になってしまいました。さらにがっかりするのは、アカゲザルでの同様の実験(自分が餌を得るためには、隣の檻の同族に高周波ショックを与えなければならない)では、サルが飢えに苦しみながらも「ノー」を言った(他のサルに苦痛を与えないことを選択した)のを知ったときです。人間性って……サル性よりも上?  さらに、ボランティアを無作為に二組に分けての「囚人と看守」実験(1971年スタンフォード大学)。これも結末はショッキングです。自分の中にいる「ハイド氏」の影の冷たさを感じるような気がして。
そうそう、秤を使った実験で「魂の重さ」測定実験が本書にはありますが(死ぬ瞬間21gも軽くなる、と1901年に実験をしたマクドゥーガルは主張しています)、何年もずっと秤の上で生活した人(誰でしたっけ?)の実験もそれと並べて欲しかったなあ。「生」と「死」と「秤」でバランスが良くなりますから。