【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

良い人

2014-07-20 17:37:49 | Weblog

 本当に良い人は「自分は良い人だ」と主張するものでしたっけ?

【ただいま読書中】『ABC殺人事件』アガサ・クリスティ 著、 中村能三 訳、 新潮社(新潮文庫)、1960年(79年16刷)、280円


 有名な作品ですが、推理小説ですから未読の方は最後の二つの段落だけを読んでください。一応ネタバレはしませんが、オープニングから少しずつ謎が展開していく過程も楽しんだ方が良いですから。

 “小さな灰色の脳細胞”エルキュール・ポアロは隠退してカボチャ作りに勤しんでい……たはずですが、事件が彼を放置してくれません。
 1935年6月21日金曜日アンドーヴァ(Andover)に注意を促す匿名の(「ABC」と署名された)手紙がポアロに届けられ、その日にアッシャー(Ascher)という老婦人が殺されます。ろくでなしの亭主が最有力の容疑者ですが、「ABCの手紙」と、店から何もなくなっていないこと、カウンターに開いて伏せられたABC鉄道案内にポアロは引っかかります。「ABC」?
 ポアロは「今できることは待つこと」と言い、本当に待ちます。すると第二の「ABCの予告状」が。こんどは7月25日、ベクスヒル海岸(Bexhill-on-Sea)。本人のベルトで絞殺されたのはエリザベス・バーナード(Bernard)という若い女性。死体の下にはABC鉄道案内。
 警察の見解は「精神異常のアルファベットフェチの犯行」。しかしポアロは「動機」はあるはずだ、と考えます。
 8月30日チャーストン(Churston)、そしてカーマイクル・クラーク卿(Sir Carmichael Clarke)。一体犯人の目的(なぜ連続殺人をするのか、なぜそれを予告するのか)は何でしょう? ポアロの灰色の脳細胞が活発に活動を始めます。それにしても、ポアロってこんなにユーモア感覚を持っていましたっけ?  若い頃に読んだときには、彼のユーモアについては完全に見過ごしていました。

 本書では「時の非情さ」も一つの主題のようです。作品の冒頭から語り手のヘイスティングスが気にしているのは、自分に老いの徴候が現れてきていること、それがポアロや付き合いの長い人たちにも同様に認められることです。そして、殺人事件にかかわった人たちにも、同じようなものをヘイスティングスは認めようとします。それにしても六十前ですでに「老婦人」と表現されてしまうとは、私はどうすりゃいいのよ、と言いたくなりますな。
 そうそう、この時代にはまだ「若い女性の身持ち」とか「婚前の評判」なんてことばがまだ生きていました。しかしそういった時代にも若い女性が実際にはどのように生きていたのか、もわりと生き生きと描写されています。単なる謎解きだけの探偵小説ではありません。「昔」を知ることもできる“お得”な作品です。


おしくて泣ける

2014-07-19 07:15:21 | Weblog

おしくて泣ける
 広島県が県のキャンペーンとして「おしい!広島県」を展開していましたが、こんどは「泣ける!広島県」キャンペーンを行うそうです。地方には頑張って欲しいとは思いますが、広島カープが惜しいところで優勝を逃して泣ける、なんてストーリーを想像してしまいました。カープのファンとしては、これは避けたいものです。

【ただいま読書中】『ユダヤ人の生活 ──マゾッホ短編小説集』L・v・ザッハー=マゾッホ 著、 中澤英雄 訳、 柏書房、1994年、2718円(税別)

 著者の名前は「マゾヒズム」と結びつけられて世界に記憶されています。しかし著者には他の顔もあります。本書はその一つ「ユダヤ小説作家」としてのマゾッホの短編集です。
 「愛国のユダヤ人」……戦争で十字勲章を受けたダヴィッドはシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)でトーラー(旧約聖書のモーセ五書)を朗読しようとして「異教徒の印をつけている」と恋敵に難癖をつけられます。そこでダヴィッドの胸につけられた「十字」についてラビ(律法学者)が示す解釈には、ユダヤ人が受けてきた迫害の歴史の重みが加えられていました。
 「ホルトの製本屋」……こちらはずいぶん軽妙なお話です。恋文の代筆が、長さではなくてそこに込められた思いによって料金が決められている、というところで私は大笑い。さらに恋人の恋文のやり取りが代書屋同士の“対決”になってしまうところでさらに大笑い。
 「レオパルド夫人」……ユダヤ人にひどい悪戯やイジメをする嫌われ者に、美貌のレオパルド夫人が痛快な復讐をするお話です。文字通り「ぐうの音も出ない」わけです。
 ロシア、ポーランド、アルザス、ハンガリー、ルーマニア……各地のユダヤ人が登場します。話自体は「日常生活の一断片」ですが、どの断片にも「歴史」と「宗教」がたっぷりと絡みついているのが特徴です。ユダヤ人の日常生活は、本当にこんなに濃密な感じだったのでしょうか。というか、世界のどこで暮らしていても「ユダヤ人」は「ユダヤ人の生活」を送っています。これはすごいことですね。こういった作品群の中で「偽ターラー銀貨」は、ユダヤ人ではなくても成立する物語になっています。娘の結婚に反対する父親はその男に手切れ金として1万マルクを払う、と提案します。男はその提案を受けるのですが…… いや、この結末は意外でした。
 ユダヤでは女性も勉学をします。「本を読むこと」は「精神を飾ること」なのだそうです。そして、論争があったときには、男も女も「タルムード(聖典)」から引用合戦を行っています。もしもこういった文化的な態度が、本書のフィクションの中だけではなくて「ユダヤ人の生活」に根付いているのだったら、古代から他の民族にユダヤ人が差別や迫害をされたわけがわかるような気もします。だって、自分たちより明らかに優秀な民族は、恐ろしいもの。


悪化傾向

2014-07-18 06:41:15 | Weblog

 国債費が年々増え続けているのは、「毎年赤字なのに倒産しない」というやり口でうまく赤字企業であり続けて「法人税をしっかり払って国を支えよう」としない企業の問題か、そういった企業を優遇している政治の問題か、どちらなんでしょう?

原子論の歴史 ──復活・確立』板倉聖宣 著、 仮説社、2004年、1800円(税別)

 「暗黒の中世」と簡単に言いますが(で、実態はけっこう違うようですが)、「原子論」に関しては本当に中世は「暗黒時代」でした。12世紀ルネサンスでイスラム世界からもたらされたアリストテレスなどの文献がキリスト教と結びついて「スコラ哲学」となります。「異端」を学ぶことが認められたのです。そして「(イタリア)ルネサンス」。ここでアリストテレス“以外”の文献が大量に“発見”されます。その中にエピクロス派(原子論)も含まれていました。新世界発見の風潮や、宗教改革でのゴタゴタなどがあり、キリスト教の原子論否定はそれほど強いものではなく、原子論は大衆化します(その例として、シェークスピアの戯曲に「アトム」が登場することを著者は示します)。
 トリチェリノ実験によって「真空」の存在が証明されます。ガッサンディは「原子は神が創造した」という立場からエピクロス派の主張をキリスト教に結びつけて“安全”に原子論を論じることができるようにしました。そして「科学の時代」がやってきます。様々な研究が行われ科学は発展します。その中にも原子論の考え方を取り入れたものはたくさんありました。特に19世紀に発達した「化学」は原子論の確立に大きな力を与えました。
 そしてついに英国のドールトンが登場します。1808年の『化学哲学の新体系』で彼は世界で初めて「各元素の原子の相対的な重さの表」を発表しました。今見ると間違いもありますが(たとえば「水」は「水素と酸素が1個ずつ結合したもの」となってます)、「重さの違う原子の結合によって様々な物質ができている」ことをわかりやすく示した点で、ドールトンの功績は大です。
 さらに「ブラウン運動」。これを私は高校で「水面の花粉のランダムな動き」と習いましたが、それは間違いで「花粉が膨潤して出てきた微粒子のランダムな動き」ですが、この辺から本書は「真っ当な科学史の本」のようになってしまいます。 
 本書で重要なのは「古代にも『科学』が存在した」という指摘です。テクノロジーの制約はありますが、いや、技術や政治や宗教などの制約があるのにもかかわらず科学的な思考ができた人々が確実に存在しているのです。「科学の成果」もすごいけれど、「真っ当な思考ができる人」もすごいものです。


上下左右

2014-07-17 06:19:36 | Weblog

 鏡の中では左右は反転するのに上下は反転しないのはなぜ?というのは古典的な難問です。私にはその回答はできませんが、もしかしたら、「上下」は地球が決めているけれど「左右」は見ている人が決めているから、かもしれないとは思います。ただしこの回答の難点は、宇宙空間に行っても鏡の中の状況は地上と同じことです。

【ただいま読書中】『原子論の歴史 ──誕生・勝利・追放』板倉聖宣 著、 仮説社、2004年、1800円(税別)

 高校生が楽しく科学の授業を受けることができないか、という著者の思いから本書は生まれたそうです。ただし、執筆の過程で著者も思いもよらない事実が次々発掘されて、「通説」とは違った「原子論の歴史」が見えてきたのだそうです。
 紀元前400年ころ、古代ギリシアのデモクリトスは「万物はこれ以上分割不可能な『アトム』によって構成されている」と唱えました。この「哲学」は「万物は神の創造による」から“脱出”したことで、「科学」の基礎を作ったと言えます。
 「地球が球形であること」の“証拠”として、「遠くから近づく船が帆柱の先から見えてだんだん船体が見えてくる」と説明されることがあります。著者はそれに納得しません。だってそんな風に実際に見えます? そこで著者はアリストテレスの文章を読んで驚きます。そこには「逆」が書いてあったのです。「船に乗って陸に近づくと、山の頂上が見えそれからだんだん麓が見えてくる」と。アリストテレスだけではなくて、著者の態度も“科学的”です。さらに「科学の歴史の楽しみ方は、探偵小説の楽しみ方と同じ」と、私にはとても共感できることを書いてくれています。実際私もそのように楽しんでいますから。
 デモクリトスの「原子論」は、アリストテレスによって完全に否定されました。しかし原子論は滅びません。“後継者”はエピクロス。エピクロスの“業績”は、原子に「重さ」を加えたことです。原子論に反対する人は「重さ」と「軽さ」を唱え「真空」を否定しました(ものが浮かぶのはその「軽さ」という性質による、という主張)。エピクロスは「重さ」と「真空」を唱え「軽さ」を否定しました(「浮上」は相対的な「重さ」の差による機械的な現象)。エピクロスの考えは、のちにストア派およびキリスト教から「快楽主義者め」と厳しく否定されることになります。なにしろエピクロスの世界では「神」が不要ですから理想主義的あるいは宗教的な人からは決して容認できない考え方だったのでしょう(逆に言えば、キリスト教の時代までエピクロスの考え方が生き残っていた、とも言えます)。しかし、ストア派の攻撃には耐えていた(それどころか古代ローマでけっこうな勢力を誇っていた)エピクロス派の原子論も、キリスト教の攻撃(聖書に書いてあることと違うものは異端である)には耐えきれませんでした。キリスト教がローマの国教とされ、時代が「古代」から「中世」へと変わった頃のお話です。
 ということで下巻に続く。


過剰な謙譲語

2014-07-16 06:35:15 | Weblog

 「これから会議を始めさせて頂きます」なんて言い方を聞くと、私は不思議な気分になります。「定刻になりました。会議を始めます」で良いではないか、そこまで謙遜する必要はないだろう、と。次に「権力の委譲宣言」かもしれない、と思いつきます。「会議を始めさせる」“権威”がいるとして、その“権威”から「会議を始める権力」を委譲されたのは私だぞ、という宣言かな、と。でもそれって、「謙譲語」を使っているけれど「自分は虎の威を借りる狐だぞ」宣言ですよね。なんだか変なことばの使い方です。心の中に「謙譲」が存在しないのに、ことばだけ謙譲語を使おうとしてそれさえきちんとできなくてへんてこりんな「させて頂く」を使っているのですから、まったくへんてこりんな言語感覚を味わっている気になるのです。

【ただいま読書中】『チューリング ──情報時代のパイオニア』B・ジャック・コープランド 著、 服部桂 訳、 NTT出版、2013年、2900円(税別)

 「チューリング」で私がすぐ想起するのは「チューリング・テスト」と「チューリング・マシン」です。
 アラン・チューリングは、一風変わった学生として育ち(記述を読むとちょっとアスペルガー症候群のにおいもします)、数学の才能を発揮して22歳でキングス・カレッジの特別研究員に選ばれます。そこで「ゲーデルの不完全性定理」とそれに関するニューマンの講義を受けて36年に「計算可能な数について」という伝説的な論文を独力で書き上げます。そこには「テープ」をメモリーとし紙テープとそれを読み書きできる「スキャナー」から機械部分が構成され、さらにそこに「プログラム」が搭載された「万能チューリングマシン」の姿が描かれていました。そして、万能チューリングマシンに無限のメモリーと無限の時間を与えても、明確に定義された数学問題の中には「万能マシンでは解けない問題」が存在することが証明されました。これはゲーデルの定理に匹敵する驚くべき結果でした。ゲーデルは「数学の証明」の不完全さを概念的に示しましたが、チューリングはそれをさらに一般化し、具体的に「実際に解けない問題」も提示できたのです。ただしこの時点でチューリング・マシンを作るとしたら、使えるのは歯車か「リレー」でした。トランジスタどころか真空管の時代も、まだ先のことだったのです。
 チューリングは渡米、プリンストン大学で博士課程に入ります。そこで書いた論文「序数に基づく論理システム」に登場する「神託マシン」は、要は現代のパソコンやスマートフォンのような、外部のデータベースと交信するコンピューターの数学モデルでした。フォン・ノイマンはチューリングを助手に採用しようとしますが、チューリングはその話を断り帰国します。戦争が近づいていました。ケンブリッジでチューリングは、学生を教え、ウィトゲンシュタインの講義を受け、ドイツの暗号機械「エニグマ」の暗号解読に取り組みます。18箇月の格闘の末、ついにチューリングはUボートのエニグマ解読に成功します。これは戦争の終結を1~2年早めた、と本書では評価されています。チューリングは暗号解読機械「ボンブ」を製作し、30台も機械が並ぶ“兵舎”には解読者の女性が大量に動員されてまるで工場の様相でした。
 1941年には「タニー」というさらに優れた暗号をドイツ国防軍が使い始めます(国際テレタイプ信号を利用して、暗号化も平文化も自動的に行われる優れものでした)。チューリングはこちらの解読にも貢献しました。その成果が最も出たのは、クルスクの戦いでした。イギリスは解読した情報をソ連に提供、ドイツ軍の大作戦はほとんど“丸裸”になっていたのです。
 チューリングは単なる理論屋の数学者ではなくて、対独戦勝利の“主役”の1人になっていたのです。しかし、ドイツの暗号解読のために組み立てられた世界初の大型電子計算機「コロッサス」(真空管数千本、重量1トンの化け物)は軍事機密として扱われ、コンピューターの歴史に貢献することはありませんでした。(この秘密が公開されたのは2000年になってからです) 戦後もエニグマやタニーの改良版が各国で使われることをにらんで、「イギリスの国益」を考えての機密指定でした。
 戦後、よく知られた「世界で最初の電子計算機ENIAC」がアメリカで作られます。その2年前に作られたコロッサスから論理回路を除いたような設計でしたが、共通しているのは「チューリングのプログラム蓄積方式」を組み込んでいないことでした。プログラムは「ハードウエア(回路)」で実現されていました。だからプログラムにバグが発見されたらそれを取り除くのは技術者の悪夢(の連続)だったのです。チューリングは、自分のアイデアが詰まった「自動計算機関(ACE)」の詳細をデザインし、1945年末に「電子式計算機の提案」という48ページの文書と52枚の図版を完成させます。イギリス政府はこのアイデアの将来性を認め、予算をつけます。しかし、生来の一匹狼的気風を持つチューリングには、組織でのマシン開発は困難なことでした。しかしチューリングは、「コンピューター」の開発と同時に、人工知能の先駆的な研究も開始していました。
 「神話」では、コンピューターはバベッジで始まりENIACをもって電子式マシンの登場、となっています。さらに、チューリングのプログラム蓄積方式をENIACの次のマシンで実現しようとしたアイデアはフォン・ノイマンの“手柄”ともされています。本書を読む限り「現実」はそれとは違うようで、「神話」を語るときには、ちょっと注意が必要そうです。
 本書では、丹念なインタビューと同時に、今まで知られていなかったものも含めて膨大な文献に当たることで「チューリング」と「最初期のコンピューター」について、私がこれまで知らなかった世界を描き出しています。コンピューターの歴史に興味がある人は、必見の本です。


落下物

2014-07-15 06:40:05 | Weblog

 雨も鳥の糞も「空からの落下物」のカテゴリーに一緒に入れることができます。しかし、車に付着した鳥の糞を雨はなかなか洗い落としてくれません。

【ただいま読書中】『背信の科学者たち』W・ブロード、N・ウェード 著、 牧野賢治 訳、 化学同人、1988年、2200円(税別)

 伝統的な科学観は「科学者はフェアプレイをする」ことを前提としています。科学者がデータの捏造や剽窃や論文のでっち上げなどするわけがないし、たとえ怪しげな論文があったとしても、他の科学者からの批判や追試によってそんなものは淘汰されていく、と。
 しかしそれは本当だろうか?と本書では述べられます。科学者も“普通の人間”で、“誘惑に負ける”ことは意外に多いのではないか、と。

 著者はまず歴史を遡ります。プトレマイオスの「観測」は夜間のエジプト海岸ではなくて、白昼のアレクサンドリア大図書館で行われた/ガリレオ・ガリレイは「実験」の重要さを主張したが彼が実際に実験をしたことには疑念がある/アイザック・ニュートンの『プリンキピア』には偽りと思える記述がある/ジョン・ドルトンの実験結果は現在でも再現不可能である/メンデルの論文はあまりにできすぎている……
 そして、話は20世紀になります。科学者が急増、それに伴い、論文と雑誌もどんどん増えます。共同執筆者も増え、論文の追跡はけっこう困難になります。責任が分散され、誰も敢えて怪しい文献に責任をとろうとしない風潮が生まれます。
 そして、「科学の欺瞞」が続出することになります。
 そのたびに科学界は「すべての責任は個人に」と主張します。「“腐ったリンゴ”は例外である」と。
 科学の世界には「欺瞞に対する自己規制機構」があります。ピア・レビュー(仲間による審査)、論文の審査制度、追試制度です。特に最後の追試制度は最も強力な規制になっているはずですが、それをかいくぐる人はいます。1981年の「キナーゼ・カスケード説」がその好例です。マーク・スペクターが“成功”した酵素の精製は、誰にも追試ができず、それは「スペクターが実験巧者だから」と説明されました。しかし……
 そうそう、ひっそりと野口英世も登場します。あまりきつい扱いではありませんが。
 「後光効果(有名な師匠の弟子の業績は、過剰に扱われやすい」「補助金獲得や昇進のためのプレッシャー」「名誉欲」「理論の正しさに対する過剰な思い込み」「自己欺瞞や盲信」「えせ科学者」……さまざまな「欺瞞」が科学において働かれてきました。
 「科学」は本来「論理で構築されたもの」です。しかしそれが「人間の営為」として構築されるとき、どうしても「人間的なもの」が混じり込んでしまうようです。ただ、「人間的なものが混じること」を全否定するのではなくて、「そういったものが混じっていること」を“大前提”として「科学」を見れば良いのではないか、と私は楽観的に思っています。だって、いくら上手に論文を捏造したって、結局“その先”に「新しい世界」は展開できず最後には「この先袋小路」という標識の代わりになるだけでしょうから。ちょっと楽観的すぎるかな?


個人情報漏洩

2014-07-14 06:36:07 | Weblog

 ベネッセの顧客情報が大量に漏れて、それが流れ流れてジャストシステムが使っていた、という“事件”が起きていますが、これは「法人」の問題でしょうか。それとも「社会システム」から考えるべき?  「法人の問題」だったら、企業の倫理とか情報管理システムとかを考えれば良いでしょう。しかし「社会システムの問題」だとしたら、これからの「マイナンバー制度」の情報もまた同様に漏れるもの、と「想定」して対策を考えておく必要があります。「漏れるはずはない」とたかをくくったり、漏れてから「想定外でした」と言い訳をする、なんてのは許されませんよ。

【ただいま読書中】『第五の権力 ──Googleには見えている未来』エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン 著、 櫻井祐子 訳、 ダイヤモンド社、2014年、1800円(税別)

 本書の著者が初めて出会ったのは2009年の秋、バグダッドでした。サダム・フセイン政権が崩壊して以来ずっと戦争状態にあるイラクで真剣に求められていたのは、モバイル機器とそれが使える社会的なインフラでした。人々は自分たちに何が必要なのかわかっていました。わかっていないのは政府でした。
 アメリカに帰国後、2人は「将来強くなるのは市民か国家か」「技術革新でテロリズムは実行しやすくなるのかしにくくなるのか」「プライバシーとセキュリティは」「デジタル新時代に生きるにはどれだけの犠牲が必要か」「誰もがつながる世界で、戦争・外交・革命はどう変わるか」などの問題を真剣に考えます。
 本書に登場するのはまず「コネクティビティ」です。つながることによる変革です。そして「パーソナライゼーション」。朝起きたらスマホで自分の健康チェックなど「私個人専用」の技術。さらに「現実世界」と「仮想世界」の二つの世界を生きる“生き方”。ここで「管理指向の政府」が、SNSやメールアドレスと実名とを紐付けしようとすることのメリットとデメリットが論じられます。マーケットもまた二重化されます。
 20世紀型のメディアも変革を迫られます。ネットにいくらでも情報が上げられるので、速報性では既存のメディアは後れをとりそうです。ただし量の拡大は質の低下を招くでしょう。では「メディアの信頼性」をどうやって確保するか、がこれからの問題となります。コネクティビティはメディアにやっかいな問題を突きつけますが、メリットもあります。特に報道の自由がない国で。
 「国」ももしかしたら「現実」と「仮想」の二重化をするかもしれません。ただしこの場合は「インターネットに国境を設けて分断をする」という形になる場合もあります。たとえば現在の中国はそちら方向への努力をしています。いわば「仮想の鎖国」ですね。逆にオープンを売り物にする国も登場するでしょう。すると「仮想中立国」への「仮想亡命」なんてものが将来登場するかもしれません。
 戦争もまた仮想空間で行われます。サイバー戦争です。産業スパイ、企業戦争、テロリズム、国家によるサイバー攻撃などがすぐに考えられます。匿名性を保て、無用な挑発を避けることができ、それで敵に多大な損害を与えられることが確実なら、その使用をためらう人(国家)はあまりいないでしょう。本書には、アメリカとイスラエルが共同で行ったイランへのサイバー攻撃「スタクスネット(フレーム)」、2007年のエストニアへの広範な攻撃(ロシアの関与が疑われています。ロシアは否定していますが)、中国によるグーグル攻撃、2009年にアメリカと韓国が広範に攻撃を受けその発信源が北朝鮮と疑うも結局1年後には証拠はその無いと発表された、なんて例が次々挙げられています。
 最近日本でも注目されている「ビッグデータ」も重要な問題です。膨大なデータ、それを扱う膨大な情報システムが悪用されたらどうなるか、の懸念があるのです。
 インターネットには「データの削除ボタン」はありません。ネットが存続する限りデータも残り続けます。そこで生きるためには、そのための“サバイバル技術”が必要になるでしょう。現実世界と仮想世界とで上手に生きるのは、私のような古い人間には大変複雑なことのようにも思えますが、おそらく明治時代の人間が今の私の生活を見たら「複雑すぎる」と感想を漏らすでしょうから、未来の人にはたぶん何とかなることなのかもしれません。


関の向こう

2014-07-13 07:53:26 | Weblog

 平安時代くらいまで「関東」とは「逢坂の関より東」の未開の地のことでした。防人の人的供給地とか都のための食料生産地ではあっても、都人からはそれ以上の興味は持てない地だったはずです。江戸時代からはそれまでの「関東」の“意味”を「東北」が持たされたような気が私にはします。都人(江戸の人間)からは「江戸より西」は注目するべき場所ですが、東北は“それ以外”。だから『奥の細道』でも「街道」はなくて「細道」しか整備されていなかったのではないかな。特に「白河の関より北」は「日本人」からは“異世界”の一種だったはず。それをさらに決定づけたのが戊辰戦争でしょう。
 高度成長期には、防人ではなくて「金の卵」の供給地として扱われましたが、その当時行われた東北弁に対する過剰な蔑視を見ても「関の向こう」扱いは続いていたようです。
 かつては「関の東側の人間」として扱われていた人たち(の末裔)が、今は「関の北側の人間」をぞんざいに扱う姿(たとえばフクシマの扱いなど)を見るのは、なんだか妙な気分がします。

【ただいま読書中】『自由と規律 ──イギリスの学校生活』池田潔 著、 岩波新書17、1949年(61年24刷)、100円

 戦前のイギリス(とドイツ)で教育をうけた人の体験をもとにしたイギリスのパブリック・スクール論です。著者は日本の(旧制)中学を終わる前に渡英、パブリック・スクールであるリーススクールに3年、ケンブリッジ大学に5年、ドイツのハイデルベルグ大学に3年通いました。
 著者によれば、イギリス人の特質は「伝統への愛着」と「必要とあれば潔く伝統を改める勇気」にあるそうです。そしてそれが育まれる場所が、パブリック・スクールだそうです。その起源は、1387年のウィンチェスター校(オックスフォードのニュー・カレージのための予備校)、1440年のイートン校(ケムブリッヂのキングス・カレージのための予備校)まで遡ります。中世のパブリックスクールは、僧の教育水準向上が目的でした。16世紀、宗教改革の時代に17校が、飛んで19世紀の教育復興の時代に12校が創設されています。
 イギリスでは「階級」がしっかり存在しています。支配階級と被支配階級です。
 被支配階級の子弟は、(日本の小中学にほぼ相当する)エレメンタリー・スクールとグラムマー・スクールを卒業すると、社会に出ます。一部の成績優秀なものだけが師範学校や専門学校、さらにその一部が大学に進学します。戦前の日本の教育制度とよく似ていますが、違うのは、イギリスでは奨学金制度が充実していることです。
 支配階級の子弟は、チューターという住み込みの家庭教師に教育をうけるか、プレパレートリー・スクール(プレップスクール)に通いますが、これは基本的に全寮制です。小学校から寮生活ですか。そしてその後にパブリック・スクールが続きます。「父親が行ったプレップ・スクールとパブリック・スクールに息子も行く」ことが継続され、「イギリスの伝統」は維持されています。
 一口に「パブリック・スクール」と言っても学校によって内容は千差万別ですが、ある程度の共通点もあります。特に「全寮制」「スポーツ重視」に著者は注目しています。これは美点も多々ありますが、音楽などの学芸の軽視という欠点もあります。この全寮制の世界で一番快適に過ごせるのは「平凡な多数派」に属する「社会の中堅」になる人々です。しかし、異常な才能を持つ人間にはそこは地獄となります。「個人の価値判断」ではなくて「共同体の価値判断」が優先されるのですから。
 イギリス人が感情を重視しながらもその発露を抑制することも、イギリス流のユーモアで本書では表現されます。著者もユーモアに関してはイギリス人です。
 生活は質素です。裕福な家庭の子弟ばかりのはずですが、衣服は質素そのもの。食は貧民レベルぎりぎり。そのような生活で寮の「自治」と「規律」は守られています。この「自由」と「規律」の両立がどのように子供たちの“内側”に肉体化されていったのか、のプロセスを、著者はパブリック・スクールに見ています。
 なにせ戦前の話ですし、「日本人フィルター」を通っていますからどこまで「イギリス人の真実」に肉薄しているのかは私には判断できません。ただ「古い」「外国の話」であっても、教育の本質に関する一般化はできるかもしれません。というか、日本で本質的な教育論って行われていましたっけ?


生存競争

2014-07-11 18:19:04 | Weblog

 私が生まれた頃には森永ヒ素ミルク事件がありました。幼児期にはサリドマイド事件。小児期には米ぬか油事件。交通戦争が激化したのもあの頃からです。
 サリドマイドはともかく、よくもまあ、生き延びてこられたものだ、と我が身の幸運に感謝します。

【ただいま読書中】『日本の薬害事件 ──薬事規制と社会的要因からの考察』医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団 企画・編集、薬事日報社、2013年、10000円(税別)

 本書で取り上げられているのは、以下の15の日本の薬害事件です。「ジフテリア予防接種」「ペニシリンショック」「サリドマイド」「アンプル入り風邪薬」「スモン」「筋短縮症」「ダイアライザーによる眼障害」「エイズ」「血液製剤(フィブリノゲン製剤)によるHCV感染」「陣痛促進剤」「MMRワクチン」「ソリブジン」「人乾燥硬膜によるプリオン感染(CJD)」「牛心嚢膜抗酸菌様感染」「ゲフィチニブ」。
 さて、この中でいくつご存じです? 私も全部を詳しく述べることはできませんが半数以上は知っています。ほかにも、クロロキンとか最近だったらイレッサやプロポフォールとかを私はすぐに思いますが、上げていたらキリがないでしょうから、とりあえず一冊分、ということなのでしょう。
 本書で面白いのは、見開きで左側が日本語、右側が英語で構成されていることです。世界中に発信しようという意図でしょうか。
 それぞれの事件は、まず「概要」が述べられてから「事件から学んだこと」が書かれています。
 それぞれの被害者はお気の毒ですし、それを行政の怠慢などで被害を人為的に拡大させているのを見ると、「厚労省」は昔から「厚生省」だったんだな、とも思います。
 印象的なのは「アンプル入り風邪薬」です。高度成長期に、風邪ぐらいで休めるか、と薬局でアンプルに入った総合感冒剤(ほとんどにピリン系の薬物を配合)をくいっと飲んで出勤する、という“ブーム”だったのだそうです。「アンプル」って注射のための容器ですから、そこから飲むとよく効く気がするのでしょう。ところが爆発的に売れたものだから「ピリンアレルギー(ショック)」も多発して死者が多発。様子を見ていた厚生省はまず販売停止にしますが市場からの回収をしなかったため死者が続発。とうとう各製薬企業に市場からの回収を“要請”し、各社は「回収及び返品に伴う損失を補填する優遇措置」を条件に回収に応じました。これでやっと市場から3000万本のアンプルが回収されています。さらに厚生省は「会社に損害を与えたこと(自分で販売許可を出しておいて、あとから回収させたこと)」を各企業に陳謝しました。
 厚生省がどこを向いて仕事をしているか、よくわかる事例だと私には思えます。企業の方には配慮をする、ということです。では「被害者(国民)」の方へは?
 厚生労働省設置法にはこの役所の「任務」を「経済の発展に寄与するため」とされていますから、「企業重視」は不思議ではないのですが、この姿勢を貫く限り、これからも「薬害事件」は起き続けることでしょう。「薬害」は「薬」と「人体」の相互作用で、必ず一定の確率で発生します。しかしそれを「事件」に育てるのは「行政の不手際」ですから。


毀誉褒貶

2014-07-10 19:24:50 | Weblog

 1990年代後半に中国に行ったことがありますが、そこで「毛沢東ってどんな人だったんです?」と聞いたら、「あんなひどい奴」と吐きすてるように言われて驚きました。絶対的な権力者だったはずですが、権力を失ったら“そんな評価”になってしまうんですね。だけど生きている内はそんなことは一切できなかったわけです。独裁者が独裁者であることができるのは、一体なぜなんだろう、と感じてしまいました。もちろん私も独裁国家に生きていたら、粛清されるよりはされない方が良いから、節を曲げてしまうだろう、という「確信」はありますが。

【ただいま読書中】『毛沢東の私生活(下)』李志綏(リチスイ) 著、 アン・サーストン 協力、新庄哲夫 訳、 文藝春秋、1994年(95年5刷)、1942円(税別)

 「共産主義」の実現のために「食料無料配給」や「人民公社」を実現しようとしたのに失敗した毛沢東は“責任者探し”(と政敵潰し)を始めます。今度やり玉に挙がるのは「反党分子」です。ストレスから著者は胃潰瘍になりますが、その頃には毛沢東に対する絶対的な忠誠心が揺らぐようになっていました。政府の外から見る毛沢東のイメージと現実の姿のギャップがあまりに大きすぎたのです。さらに、地方巡察で目撃した食糧危機で苦しむ人民と、相も変わらず宴会でご馳走をむさぼる自分たちのギャップにも著者は苦しみます。しかし、そのご馳走を拒絶したら現体制に不平を持つ「反党分子」として告発されることを覚悟しなければならないのです。生き残るため著者は良心を“殺し”ます。
 毛沢東は、報告は「目標は達成された」なのに、現実には食糧危機が起きていることが理解できませんでした。「右派」と「反革命分子」と「封建的要素」が攻撃され、多くの人が下放(追放)されます。党の方針は大きく変更されます。工業化を(一時)あきらめ、まずは食糧増産を、となったのです。
 毛の女好きも著者を悩ませます。絶対的な権力者ですから倫理面の問題を問うのではありません。主治医として、性病が問題なのです。著者は女性たちを治療します。しかし、毛自身は「自分は困っていない」と治療を拒否。せめて陰部をきれいに、と言っても入浴も寝具の消毒も拒否。結局毛は死ぬまで若い女性に次々病気をうつし続けることになります。    
 飢饉により、都会から住民が田舎に移動します。しかし田舎でも状況は厳しく、数百万人が餓死することになりました。それを改善するために現実主義的な路線変更が唱えられます。しかし毛沢東は、社会主義を貫徹するべきだと主張していました。党は内部分裂状態となります。毛沢東は「敵」を数え続けます。それらの人は、数年後に文化大革命でひどい目に遭うことになるのです。
 1962年、毛沢東は「社会主義のもとでも階級は存在する、だから階級闘争が必要である」と宣言します。国の惨状を救おうとした毛沢東に対する異議申し立てはすべて消滅します。主席と意見が一致しないことはそのまま「反革命」や「走資派」のレッテルを貼られることになるのです。66年のプロレタリア文化大革命の序曲が始まりました。
 まずは毛沢東の個人崇拝の開始です。共産党の内部の“抵抗勢力”があまりに大きくなったので、人民を味方につけようという作戦。毛沢東語録が1964年に発行されたちまちベストセラーになります。現実的な経済再建よりも、イデオロギーの純粋さを競う競争(狂騒)が始まったのです。 
 毛の“ターゲット”は、小平や劉少奇など党の最高幹部でした。しかしいつものやり口で、彼らの手足となって働く中間幹部を毛はたたきます。文化大革命が始まる前から、著者はすでに多くのものを目撃していました。たとえば毛沢東から「もっとも親しい戦友」と讃えられた林彪の実像とか。「絶対権力は絶対に腐敗する」なんて言いますが、著者が見たのは「腐敗した権力者たち」と、彼らが繰り広げるおどろおどろしい権力闘争だったのです。「腐っている」だけに、この権力闘争を読んでいると吐き気がしてきます。
 文革が始まると、毛は(いつものように)引きこもりをします。毛の不在で「蛇」が穴から出てくるのを待って、それをまとめて叩く戦術です。さらに紅衛兵の活動を「造反有理(造反は正しい」と褒めて煽るため、全国に「造反」の嵐が吹き荒れます。「反逆者」がでっち上げられ、反逆者の家族や友人たちも攻め立てられます。昔の西洋の「魔女狩り」のイデオロギー版です。
 毛の不安と心身不調とパラノイアは悪化します。一箇所に長くいることができませんが、これは秦の始皇帝が各地を転々としたことを想起させます。林彪と江青は造反派の実権を握り、彼らのそれまでの心身の不調さはどこかに消えて絶好調となっています。毛沢東も保守的な党幹部や委員会(つまりは共産党の理念に忠実な人々)を打倒するために造反派に肩入れし、解放軍をそのために導入します。
 各所で「武闘」が発生します。そして、江青の著者に対する攻撃も激しさを増します。これまでは毛沢東の威を借りてやっつけようとしていたのですが、文革で「自分の権力」を手に入れた江青は自力で著者を葬ろうと決心したのです。著者の“保護者”は毛沢東だけ。しかし毛沢東と著者の関係もぎくしゃくしていました。江青の“大物ターゲット”は周恩来首相です。その攻撃に対し、周恩来は江青支持を明確にすることで保身をします。江青に反撃したら毛沢東から攻撃されることが目に見えていたからです。権力中枢はメンバーをどんどん入れ替えていきます。毛沢東の寝室を訪れる若い女性もどんどん増え、複数の女性を相手にすることが普通になります。
 外交面で毛は著者を仰天させます。「遠交近攻の策」です。中国を取り巻く「近くの敵」、つまりソ連・インド・日本に対抗するために「遠」である「アメリカ」と友好関係を築こう、という構想です。公には米国に対する非難は続け北ベトナムへの支援も継続しながら、舞台裏ではニクソンとの交渉が進められていました。ニクソンの世界戦略にもこれは利益のある取引でした。
 「林彪事件」のあと、毛沢東は、文革で追放したかつての最高幹部たちと和解する道を探り始めます。林彪を“悪者”にして、かつて彼が批判・非難・追放した人たちは実は党に忠実だった、と主張する手法が採用されます。そして毛沢東は重体となります。著者と江青の目の前で後継者に指名されたのは(「自分を」という江青の期待に反して)周恩来首相でした。ニクソン訪中の三週間前です。毛は治療を頑強に拒否、江青は「主席は病気ではないのに主治医が病気だと騒いでいるだけ」といった口の下で「こんなに重体になったのは主治医の手抜かりだ」と著者を責めまくります。しかしやっと毛から治療開始の許可を得、著者はニクソンとの会見に毛の体調を“間に合わせ”ます。
 さらに大きな権力を得るために江青は「批林批孔」キャンペーンを始めて周恩来を「現代の孔子」として非難します。“バランス”をとるため毛はかつて追放した小平を副首相に復帰させます。毛沢東の言葉に逆らうことがどのような結果を招くのか、江青は身近でしっかり見ていたはずなのに、そこから“教訓”を得ることはなかったようです。彼女は「自分の権力」にしがみつこうとします。それが「毛沢東の手のひらの上」でしかないことを無視して。毛沢東は「上海四人組」に対する非難と警告を発します(これが毛沢東死後に文革「四人組」というレッテルになります)。
 著者はついに毛沢東が筋萎縮性側索硬化症である、と診断します。有効な治療法はありません。
 周恩来が死亡し、第一次天安門事件が起きます。周恩来追悼のために数十万人の人々が集まったのが「反革命分子」としてまとめて鎮圧されたのです。
 毛沢東の医者嫌いは徹底しています。癌の治療でさえ「自然に治るか、不治の病か、どちらかだから癌の治療は無意味だ」と断言して、党幹部の癌治療さえ却下します。自分の信念を自分に適用するのはけっこうですが、他人にも強要するのはどうなんでしょうねえ。
 著者は「毛沢東の主治医」ですが、毛沢東は最初から著者に「秘書としての機能」を求め続けています(著者はそれに気づかないふりをしていますが)。毛沢東は知識人を嫌っていたのに、回り中が無学で粗野な人間ばかりになると“知的に使える人間”を求めざるを得なくなった、という事情だったのではないでしょうか。著者は「自分は医者に過ぎない」と固辞し続けましたが、もしも権力に魅力を感じる人間だったらこのチャンスを逃す手はなかったでしょう。もっとも、いい気になったらあっさり毛に潰されることになったでしょうが。独裁者に仕えるのは、しんどい人生です。本書で見る限り、独裁者であることもまた、しんどい人生のようですが。だったら独裁制って、誰の役に立ってるのかな?