最近になって、かの『ジャッキー・リゴー』のワイン本が出まして、
ブルゴーニュの名だたるヴィニュロンが、彼のインタヴューに答えています!
そこでの話題の中心は、もちろん『テロワール』でして、
ここに来て、目の離せない造り手の一人、『ベルナール・デュガーピィ』のくだりを
真っ先に読んで見たわけです!
その中の言葉は、今時の造り手においては、当然と言えば、正しく当然なのですが、
栽培から育成、摘み取りから醸造、そして熟成まで、
まるで囲碁の定石を、一つ一つ打ち込むがごとくに、自然に任せて、手を加えず・・・
しかもソレを、家族ぐるみで行ってきたとの事・・・
その結果、出来上がったワインは、初めどこか取っ付き難く、内省的・・・
ある面、知的でクールな印象が否めません!
しかし、ひとたび熟成の高原部に達した時には、
そのワインの奥底から立ち上がる、数多くの複雑な要素と、それに派生するニュアンス、
そして醸し出される品格と、フィネスと言われる物は、それこそ尋常ではなく、
その辺が功を奏して、今や熟成したワインヒートの面々の心を動かしたというわけです!
ワタクシは、平成21年1月25日の『オテル・・・』にて、
1996年物のマジ・シャンベルタン デュガ・ピィを、
そして今回、2006年物のマジ・シャンベルタン デュガ・ピィを、
ご相伴に預かりました!
ベルナール・デュガの手にかかりますと、マジのテロワの投影は、
まるで半で押したかのようなんですね・・・
マジのティピシテでもある、いわゆる果実のソヴァージュ(野趣)感は、
2006年の段階では、あたかも主を失った庭園の木々のように、荒々しく蔓延り、
もちろんヴィンテージ特性は違うわけですが、10年間の熟成で、
1996年のように、『海の凪ぎ』を思わせる、静謐のフィネスを獲得するわけです!
ここでは、細かい個別のコメントは割愛させていただきますが、
デュガ・ピィを、そこまで待てるかが勝負・・・
もう一度言わせて貰えば、この造り手の魅力を知ったとき、
免許皆伝と言ったら言い過ぎでしょうか・・・
ブルゴーニュの名だたるヴィニュロンが、彼のインタヴューに答えています!
そこでの話題の中心は、もちろん『テロワール』でして、
ここに来て、目の離せない造り手の一人、『ベルナール・デュガーピィ』のくだりを
真っ先に読んで見たわけです!
その中の言葉は、今時の造り手においては、当然と言えば、正しく当然なのですが、
栽培から育成、摘み取りから醸造、そして熟成まで、
まるで囲碁の定石を、一つ一つ打ち込むがごとくに、自然に任せて、手を加えず・・・
しかもソレを、家族ぐるみで行ってきたとの事・・・
その結果、出来上がったワインは、初めどこか取っ付き難く、内省的・・・
ある面、知的でクールな印象が否めません!
しかし、ひとたび熟成の高原部に達した時には、
そのワインの奥底から立ち上がる、数多くの複雑な要素と、それに派生するニュアンス、
そして醸し出される品格と、フィネスと言われる物は、それこそ尋常ではなく、
その辺が功を奏して、今や熟成したワインヒートの面々の心を動かしたというわけです!
ワタクシは、平成21年1月25日の『オテル・・・』にて、
1996年物のマジ・シャンベルタン デュガ・ピィを、
そして今回、2006年物のマジ・シャンベルタン デュガ・ピィを、
ご相伴に預かりました!
ベルナール・デュガの手にかかりますと、マジのテロワの投影は、
まるで半で押したかのようなんですね・・・
マジのティピシテでもある、いわゆる果実のソヴァージュ(野趣)感は、
2006年の段階では、あたかも主を失った庭園の木々のように、荒々しく蔓延り、
もちろんヴィンテージ特性は違うわけですが、10年間の熟成で、
1996年のように、『海の凪ぎ』を思わせる、静謐のフィネスを獲得するわけです!
ここでは、細かい個別のコメントは割愛させていただきますが、
デュガ・ピィを、そこまで待てるかが勝負・・・
もう一度言わせて貰えば、この造り手の魅力を知ったとき、
免許皆伝と言ったら言い過ぎでしょうか・・・