◆自発動気功
朝の瞑想も最初に軽く自発動気功を行ってから始めた。自発動気功は、これまでになくやわらかい動きが出ていた。いつも最初は立った姿勢から始める。まず右手を後頭部のあたりにもって行き、そこから頭頂、正中線に沿って胸まで下ろす。左手の動きは自然にまかせる。いつの頃からか自然にこの動作が最初に出ていたが、中国の気功家も同じような動きをする人がいるのを知って「やはり」と思った。ともあれこの動作のあとは、自然の動きにまかせる。あとはいわゆる「気功」と似たような様々な動きが出るが、動きはおそらくその時々の体の条件によって無限のバリエーションがあるようだ。今日はちょっとすると腰を中心に両手を回転させるスワイショーの動きが出た。そして体をほぐすいくつかの動き。
◆瞑想、そして『誰も知らない』
そのあとの瞑想は、落ち着くのが遅かった。前半多く出ていたのは、先日DVDで見た『誰も知らない』という映画やそれに関連したイメージと思考だった。印象的なシーンでの子供たち一人一人の表情が浮かんでは消えた。実際におきた悲惨な置き去り事件のことも頭をよぎった。
30分過ぎてようやく集中が深まった。努力感なしのサティの感覚もある程度出てきた。しかし一方でそろそろ今日の予定のことが頭をかすめて落ち着かなくなった。これが、合宿時の瞑想との大きな違いだ。ちょうど深まってきたなと思うところで止めることになる。40分か50分くらいの瞑想であった。
朝の瞑想も最初に軽く自発動気功を行ってから始めた。自発動気功は、これまでになくやわらかい動きが出ていた。いつも最初は立った姿勢から始める。まず右手を後頭部のあたりにもって行き、そこから頭頂、正中線に沿って胸まで下ろす。左手の動きは自然にまかせる。いつの頃からか自然にこの動作が最初に出ていたが、中国の気功家も同じような動きをする人がいるのを知って「やはり」と思った。ともあれこの動作のあとは、自然の動きにまかせる。あとはいわゆる「気功」と似たような様々な動きが出るが、動きはおそらくその時々の体の条件によって無限のバリエーションがあるようだ。今日はちょっとすると腰を中心に両手を回転させるスワイショーの動きが出た。そして体をほぐすいくつかの動き。
◆瞑想、そして『誰も知らない』
そのあとの瞑想は、落ち着くのが遅かった。前半多く出ていたのは、先日DVDで見た『誰も知らない』という映画やそれに関連したイメージと思考だった。印象的なシーンでの子供たち一人一人の表情が浮かんでは消えた。実際におきた悲惨な置き去り事件のことも頭をよぎった。
30分過ぎてようやく集中が深まった。努力感なしのサティの感覚もある程度出てきた。しかし一方でそろそろ今日の予定のことが頭をかすめて落ち着かなくなった。これが、合宿時の瞑想との大きな違いだ。ちょうど深まってきたなと思うところで止めることになる。40分か50分くらいの瞑想であった。