瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

宿便?

2005年05月10日 | 瞑想日記
今日は、『断食・少食健康法』に続けて、甲田光雄の医療実践と思想を医学ジャーナリストがまとめた『長生きしたければ朝食は抜きなさい』(新書)を読んでみた。甲田医療のことは『断食・少食健康法』でしかしらないが、おそらく甲田医療のエッセンスを読みやすくコンパクトにまとめた本であろう。やはり強烈な印象をもった。その内容については、エポケーの方で触れていく。

昨日も触れた横腹の腫れのことだが、実は、『長生きしたければ‥‥』の中に、これに対する答えではないかと思われる記述が見つかった。その部分を引用してみよう。

「胃腸の処理能力を超えて食べつづけると、腸の粘膜に炎症やびらんを引き起こします。また、胃腸は伸びて垂れ下がり、横に広がったりします。そうすると、安定が悪いので、腸はあちこちへへばりつき、そこへ癒着が起こります。癒着したところは、変形して細くなったりねじれたりするので、食べたものの通りがが悪くなります。そのため、食物残滓が引っかかり宿便として停滞するのです。」

癒着が進むと、その部分は膨れ上がって風船のようになるという。私の横腹も、以前からときどき腸の内容物が滞るような感じがしていた。少し気を送ったり軽くマッサージしたりすると、蠕動運動がはじまって内容物が動く。一昨日痛みが出たのは、少し強くマッサージしすぎたのに反応したのだろう。さいわい、昨日の軽いマッサージと今日の昼食抜きもあってか、腫れも痛みもほとんど引いた。ただし、押すと軽い痛みと何かが残っている感じはあるので、まさにここに「宿便」がたまりやすく、実際にたまっているのだろう。いままでは漠然と「腸の内容物」としか捉えていなかったが、これを「宿便」と捉えると、これまでとはまったく違う視点から見ることになる。それがどういう見方かは、明日にでも書こう。

ちなみに、今日は軽く自発動気功したが、横腹に反応する動きは出なかった。爽快な気分の中での瞑想をじっくりやりたかったが、夕食準備などがあって10分ほどしかできなかった。
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昼食抜きで快調

2005年05月10日 | 瞑想日記
昨日、読書日誌エポケーの方に『断食・少食健康法』甲田光雄(春秋社、1980年)の書評の続きを書いた。本格的な断食を手軽にすることはできないが、週一の一日断食ぐらいならすぐできそうだと感想を書いた影響もあってか、今日は思いつきで昼食を抜いてみることにした。

朝は、「フルーツ・グラノーラ」軽く三口と牛乳をコップに半分くらい。日中は、低糖のミルクココアを一杯、あとはお茶をたくさん飲んだくらいだ。私はもともとあまり空腹感を感じないタイプらしく、夕方になっても腹がすいたという感覚はない。それどころか、胃が空になって軽い感じが何とも気持ちよかった。

空腹感はないが、しかし、食べ始めると「味を楽しみたい」という欲求に負けて、ついつい食べ過ぎてしまう傾向がある。最近ちょっとリバウンドして1キロぐらい増加したのは、そういう欲求に負けていたからだ。しかし、食べなければ食べないで空腹感も感じずにかなりいける。むしろ、胃が軽く、すっきりとした爽快感が何ともいえない。

昨晩は、夕食後はお茶を飲んだくらいで2時くらいまで起きていた。だからこそ朝もすっきり目覚め、日中ほとんど何も食べないのに、いや食べないからこそ、体調はすばらしくよく、疲れも感じず、むしろいつもより軽快な感じであった。ある程度、胃が空になってしまうと、味への欲求よりも、この爽快感の方が快感度が高くなってしまう。

夕食は、ご飯は軽く一杯。おかずはいつもより少し大目だった。栄養配分は充分考えなければならないが、明日も昼食抜きで行ってみよう。
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