瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

プラットホームのサティ

2005年06月29日 | 瞑想日記
帰宅時、自転車がパンクしていたので、駅まで自転車を引いて歩く。その間ずっとサティ。来ては去る無数の感覚に次々とサティが入っていく。乗換駅で5分ほど待ち時間があった。立ったままっサティ。またふいに例のかすかな悲しみが来る。悲しみはどこかで三人の子どもたちに関係しているような気もした。三人が、無明の人生の中で出会って行くだろう苦しみ‥‥そこに触れると私の中に悲しみが立ち上がる。

私も無明の人生を生きているけど、ここまではそこそこ幸せに生きて来た。しかし、この世に投げ出された無明の人生は、すべてどこかで苦しみや悲しみを予想している。その苦しみを子どもたちが苦しむだろうことへの悲しみ。そういう「いのち」であることへの悲しみ‥‥。

正月の瞑想合宿中、ふいに自分の「求める心」の愚かしさが分かってしまったことがあった。笑い出したいような解放感があった。しかし、それは一瞬のことで、執着するいつもの自分にすぐに戻った。ただ、その一瞬の記憶はどこかに残っていていつか大事なはたらきをするような気がした。これも立ちながらサティしていたときの感覚だった。

帰宅後すぐ、少し体をほぐしてから瞑想。20分くらいか。帰宅途中からのサティの影響か、静かな瞑想であった。

最近の小食の件は、明日にでも。
コメント (3)
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