瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

事実を事実として

2005年06月19日 | 瞑想日記
◆事実を事実として
起床してすぐ瞑想、45分ほど。成果主義、目的指志向的な見方からすれば最近あまり変わりばえしない。昨日、今日と飲み会の席でのおしゃべりの反芻が雑念となっていた。今日もそれに少し関係した雑念があったが、その雑念を心から楽しんでいた。その雑念を追ったことにサティし、それを心から楽しんでいたことに気づいた。無邪気に楽しい雑念を「楽しんでいた」「楽しい」とありのまま認めていいと思った。それを非難がましく受け止めないこと。

瞑想をすれば、目的志向的な態度が根深くまとわりついているのを感じる。そうではなく一瞬一瞬あるがままに気づき、事実だけを確認すること。このことを私は深いレベルでは分かっていないらしい。しかし、それが分かる、分からないではかなり大きな分かれ目になる。そんなことに気づいた。

瞑想中、今は腹の動きを中心対象とし、他に意識が飛んだらそれにサティしては、すぐに中心対象に戻る。しかし常に中心対象に戻る作業は、多くの場合意識の選択的な努力による。やがては、そういう選択的な努力を超えて意識に起こる現象を起こるままに確認するだけになるようだ。初心者にとって中心対象に戻ることは、いろいろな意味で大切だが。

◆断食からの復帰
朝、9時半ごろにおかゆで朝食。ご飯は茶碗に半分ぐらいだ。断食中は空腹感はあまり感じないが、おかゆを食べたあとがいちばん食欲が出る。しかし、よく注意すると空腹感というより、食べて味わうことへの欲求であることが多い。昼ご飯は普通に取り、満腹した。それでも口はうまいものを味わうことを欲していた。その誘惑に勝てずに少し食べた。

読書日誌 の方に一日断食の効果についてまとめておいた。断食していて私が感じる体の浄化を具体的に書くと、こちらの書いたようになる。

血液やリンパに広がっていた老廃物や毒素がすべて流れ出し、体内が休息に浄化されているのだろう。それが具体的に分かるわけではないが、少なくとも体の排泄能力は抜群に高まっている。毎日昼ごろまでに2回の便通があり、それぞれかなりの量だ。先日、午前中に3回便通があった日あたりが変わり目だったようだ。
コメント
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