気持ちでは「瞑想合宿はもう始まっている」と思っても、実際の日常生活の中ではサティや瞑想がそれほどしっかりできないのは、やって見るとよく分かる。朝の瞑想はまあまあであった。思考が続いてしまうことはあることはあるが、「生理的な瞑想状態」のなかで心は確実に静まっていく。
これが、合宿に入ったとたんにがらりと変わって雑念・妄想に苦しめられることになってしまうのだろうか。前回も前々回もそういうパターンであった。今回は、合宿に入る前の瞑想をしっかりやっていおいて、合宿に入って変化が起こるならどんな風に起こるのかをじっくり見たいと思う。合宿への期待の大きさが渇愛を生んで妄想の洪水状態になるのか。今の私にはとてもそうは思えない。合宿に向けておのずと期待は高まるのだが、そういう気持ちの動きにも確実にサティをしていきたい。
仕事の件だが、担当者が事情で参加できなくなったため、急遽私が代理で出張することになった。上尾市での会議だった。2時ごろ炎天下を上尾駅から15分ほど歩いた。歩きながらサティ。帰りも、そして父の病院に行く途中でもサティの持続を心がける。廊下や街路を歩いているとき、自転車に乗っているときなどは必ずサティを心がけているのだが、最近それも甘くなってきていた。合宿に向けてもういちど身を引き締めつつサティした。
これが、合宿に入ったとたんにがらりと変わって雑念・妄想に苦しめられることになってしまうのだろうか。前回も前々回もそういうパターンであった。今回は、合宿に入る前の瞑想をしっかりやっていおいて、合宿に入って変化が起こるならどんな風に起こるのかをじっくり見たいと思う。合宿への期待の大きさが渇愛を生んで妄想の洪水状態になるのか。今の私にはとてもそうは思えない。合宿に向けておのずと期待は高まるのだが、そういう気持ちの動きにも確実にサティをしていきたい。
仕事の件だが、担当者が事情で参加できなくなったため、急遽私が代理で出張することになった。上尾市での会議だった。2時ごろ炎天下を上尾駅から15分ほど歩いた。歩きながらサティ。帰りも、そして父の病院に行く途中でもサティの持続を心がける。廊下や街路を歩いているとき、自転車に乗っているときなどは必ずサティを心がけているのだが、最近それも甘くなってきていた。合宿に向けてもういちど身を引き締めつつサティした。