瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

いつ変化が、そして何が

2005年11月24日 | 瞑想日記
Mercyさんは、次のように言っていた。

「Noboruさんは、ヴィパッサナー瞑想をずっとやってきたけれど、ブログや掲示板から受ける感じは、ずっと変わらなかった。しかし最近、変化があった。その変化は、SRKWブッダさんがブログのダイアリーのコメントに「無明云々」と書いたとき以来ではないか」と。

もちろん私自身にも最近何かが変化したという自覚はあるのだが、それは夏の瞑想合宿以来のことだと感じていた。SRKWブッダさんのコメント以来とは思ってもいなかった。私にとっては、瞑想合宿で妻や家族との関係が問われて以来の変化という一貫した自覚があったが、Mercyさんは、「無明」のコメント以来、内面でどんな変化があったが、じっくり探ってみるのも大切だと言っていた。

ところで私自身が自覚する変化とは何だろうか。これは答えるのが難しいのだが、今日感じたのは、いろいろな意味での執着が少なくなってきているということか。今、私がいちばん関心があるのは、自分自身が今後どのように変わっていくかということであって、それ以外のもろもろのことは二の次になっているような気がする。無自覚の劣等感の補償として何かを目指すということが、あまりなくなっている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする