こどもの問題をめぐって、妻と話しながら、どのようにかかわっていくか手探りしている。これまで私が、あまり本気でかかわろうとせず、その分、妻がいらいらしていた面があった。こどもが生きる現実、私が生きる現実、妻が生きる現実が、ぶつかる。そのひとつひとつの現実の重さを感じる。
こどもに対し「こうであっては欲しくない、ああなって欲しい」という思いがある。しかし、それを前面に出せば出すほど、こどもは反発する。どうにもならない現実がそこにある。
しかし、彼なりに、この世に生を受けて、取り組んでいこうとする課題があるのだろう。彼自身が自覚しているかどうかは別として。そういう、こどもが生きているだろう、あるいは生きていくだろう姿を真正面から見据える。
この悩みのなかにあって、それに巻き込まれずに見ている視点があるのも感じる。三者が生きる現実同士のかかわり、接触のなかに、ごまかしのきかないかかわりの中に、大切な学びの機会があるのを感じる。
こどもに対し「こうであっては欲しくない、ああなって欲しい」という思いがある。しかし、それを前面に出せば出すほど、こどもは反発する。どうにもならない現実がそこにある。
しかし、彼なりに、この世に生を受けて、取り組んでいこうとする課題があるのだろう。彼自身が自覚しているかどうかは別として。そういう、こどもが生きているだろう、あるいは生きていくだろう姿を真正面から見据える。
この悩みのなかにあって、それに巻き込まれずに見ている視点があるのも感じる。三者が生きる現実同士のかかわり、接触のなかに、ごまかしのきかないかかわりの中に、大切な学びの機会があるのを感じる。