この夏、「はだしのゲン」についての取組みにこれだけ力を入れることになろうとは思いもよらなかった。もし例年のように10日間の瞑想合宿に参加していれば、取組みとしてはいちばん重要な時期に何もできなかったわけだから、何か不思議な思いもする。瞑想合宿に参加していれば、それはそれで大きな学びがあっただろうが、「はだしのゲン」への取組みでは、また別のことを学ばせてもらっている。
八王子での合宿のかわりに断食道場へ行こうかとも思っていたが、それも取り止めということにした。かわりに数日間、車椅子の父をつれて旅行に行くことになるだろう。最近、瞑想は毎日40分ほど。日常生活のサティも徐々に増えてきている。夏の瞑想合宿がなかったことも、「はだしのゲン」の取組みに夢中になっていることも、瞑想とサティについてのスランプを徐々に脱出しつつあることも、ひとつの流れのなかで意味があるのかもしれない。もっともスランプだったという自覚はあまりないのだが。
スランプと感じないのは、自分の中の「求道」の姿勢は、微塵も変らないことが分かっているからだ。何か意味があってこうなっているという感じがずっとしている。「はだしのゲン」のことも、今こういう取組みをすることが自分自身にとって必要だったのかも知れない。
八王子での合宿のかわりに断食道場へ行こうかとも思っていたが、それも取り止めということにした。かわりに数日間、車椅子の父をつれて旅行に行くことになるだろう。最近、瞑想は毎日40分ほど。日常生活のサティも徐々に増えてきている。夏の瞑想合宿がなかったことも、「はだしのゲン」の取組みに夢中になっていることも、瞑想とサティについてのスランプを徐々に脱出しつつあることも、ひとつの流れのなかで意味があるのかもしれない。もっともスランプだったという自覚はあまりないのだが。
スランプと感じないのは、自分の中の「求道」の姿勢は、微塵も変らないことが分かっているからだ。何か意味があってこうなっているという感じがずっとしている。「はだしのゲン」のことも、今こういう取組みをすることが自分自身にとって必要だったのかも知れない。