瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

慈悲の瞑想

2008年12月26日 | 瞑想日記
◆最近、駅から職場、職場から駅への行き帰りは、もっぱら「慈悲の瞑想」を行っている。往復で40分くらいだ。思考に巻き込まれれば「慈悲の瞑想」が滞るから、思考への気づきはすぐ入る。「思考」とサティして「慈悲の瞑想」に戻る。そんなことを繰り返している。行き帰りだけでなく、一日中、気がつけば「慈悲の瞑想」をするようにしている。朝、寝床の中で目覚めたときも、トイレにたったときも、職場で廊下を歩いているときも、「慈悲の瞑想」をしていることが多い。対象は、身近な二人が中心だが、かかわりのあるもっと広い範囲の人々に行うこともある。

「慈悲の瞑想」を続けているのは、対象とする人物たちへの切実な願いからなのだが、これを続けていることが、日常生活のいろいろな場面でサティが入りやすくなることにつながるのも確かだろう。

◆ここでは取り上げたことはないが、最近の読書傾向としては、実は精神世界系の本より、国際関係、経済、ビジネスジャンルの本を読むことがずっと多い。たとえば、昨日今日で買った本を挙げると、池田清彦『ほんとうのエネルギー問題』、森田実『崩壊前夜・日本の危機』などといった類の本だ。悲観的予測、楽観的予測など立場や考え方が違う様々な著者の本を読んでいる。環境問題や地球温暖化問題について、こうも考え方が違うのかとびっくりする。もう少し勉強しないと、本当にぢちらが正しいのか見えてこない感じだ。いや、「どちら」というはっきりした形で見えてくることなどないのだろう。いろいろな立場の本を読んでいると、マスコミがその時々のいかに偏った立場でしか報道しないかがわかって唖然とすることもある。たとえばあれほど騒がれていたダイオキシンの毒性問題は今どうなっているのだろうか。
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