瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

想念という贈り物

2008年12月30日 | 瞑想日記
昼食前に30分瞑想。「思考(雑念)を否定するのではなく、気づくのだ」としっかり確認して座る。気づいたら腹の動きへの集中に戻る。思考を否定しようとする気持があり、しかもそれに気づいていない、というのがこれまでの私の態度だった。

もちろんヴィパッサナー瞑想では、身随観もあり、心随観もある。心随観では、自分の無意識から突き上げてくる思考やイメージや感情にサティすることが中心になる。そのためわざわざ集中を妨げる要素を組み入れることもあるほどだ。たとえば歩行瞑想で意図的にでこぼこの道を歩くなど。

もちろん身随観中でも思考やイメージは浮かんでくる。その場合は、深追いせず一度サティを入れたら、腹なら腹への集中に戻る。実際に私がふだん瞑想しているときは、身随観中心だが時に応じて心随観に移行するときもある。大切なのは、身随観をしているときも、思考に対する無意識の否定的な構えをしないことだ。心随観の時同様に、私に気づきをもたらしてくれる大切な贈り物という態度を忘れない。しかし、気づいたら取り合わずすぐに腹への集中に戻る。

実際には、心は無意識の巨大な海をかかえているから、微細な思考も含めたえず思考が襲う。思考の背後には意識的、無意識的な「私」という観念がうごめいている。たえず働いている「私」という観念にもサティしていく。

ともあれ、夢や病や、その他の一切の出来事が気づきにとっての大切な贈り物であると同じように、どのような思考・想念もかけがえのない贈り物なのである。そのつもりで気づいていこう。
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