瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

思考は禁じるのではなくサティを!

2008年12月29日 | 瞑想日記
昨日、朝夕の食事はせず、昼だけ大豆入りのおかゆ少々とひじきの煮物。今日は昼に復食をしたので、ゆるい一日半断食というところか。さらに今日も夕食も抜いた。ただし9時ごろ(たったいま)パンを一口。これはちょっと勇み足だった。

昼30分の瞑想、夜(パンを一口食べる前)30分の瞑想。昼は、窓からの暖かい陽射しを背に受けての瞑想だった。瞑想に入ったばかりの時、ある芸能人と政治評論家の口論(テレビ番組)を思い出していた。頭の中ではニヤニヤ笑っているような感じだった。はっと気づいて「思考」とラベリングし、腹の動きに戻るとすれば、いつもと変らない。

しかし、その時は口論とそれに続く場面をもう少し思い出し、考えていたい自分に気づいた。そして、そういう自分を許しておきたかった。そう感じたことには、背に受けていた暖かい陽射しが何がしか関係していたかもしれない。

「思考」とラベリングして腹の動きに戻るとき、通常の私は、「またやっている」と思考をあわてて禁止してしまう。思考は禁ずべき悪いものという態度をほとんと無意識にとっている。しかし、それは禁ずべきものではない。許して気づく対象なのだ。そう感じた瞬間から、思考する自分を許す気になった。そして、思考する自分に気づく。そうすると瞑想することが何か楽なことのように感じられた。

瞑想中の雑念・思考もまた気づきにとって大切だということは最初の瞑想合宿の頃から何度も指導されてきたことだ。しかし現実には、集中を求めるあまり思考との戦いになってしまうことが圧倒的に多かった。戦うのではなく、気づき許す。同時に集中する。実際にはこのバランスは難しい。しかし、思考を慌てて禁じてしまうのではなく、思考する自分を認め、許し、気づき、そしてゆっくりと集中に戻る。こうした態度も大切だと思う。

さらに思考する自分に気づいたら、一歩退いたところから、どんな欲求からどんな傾向を思考をしているのか、サティすればなおよいと思う。夜の瞑想もそんな感じでやった。実際には、半分夢のようなイメージになったりすると、サティが入りにくかったが。

ともあれ、思考やイメージは、慌てて禁ずるべきものではなく、サティすべきもの、ということを忘れずにいたい。
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kokia  あまりにも素晴らしいので

2008年12月29日 | 瞑想日記
'08 The 10th anniversary concert in Europe.

多くの人に聴いてもらいたいので、ここにリンクしておきます。
YuoTubeへの最新のアップロードからです。

kokia - Lacrima

kokia - Ave Maria

kokia - 小さなうた

kokia - 穏やかな静けさ~浄歌

kokia - Remember the kiss

kokia - やさしくされると やさしくなれる花
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