瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

感情の重なりの底

2010年08月30日 | 瞑想日記
◆最近、掲示板:臨死体験・気功・瞑想で何人かの人が投稿をして下さり、動きが活発になっている。私自身、それらを読んだり、書き込みをしたりしながら、深いところでかなり影響を受けている。

◆数年前、このブログでガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド―あなたはすべてをもっている』から、その言葉を書き出し、それについて感じたことを書いていた。かなり長くやっていた。ところが、この本についてはなぜかまともなレビューを書いていなかった。それで『精神世界と心理学・読書の旅』の方にレビューをまとめた。

そのとき、かつてブログに抜き出した彼女の言葉を一度、二度と読み返し、あらためて影響を受けた。もういちど本全体を読み返したいと思った。できれば何度も読み返したいと思った。さっそく元の英文の本も注文した。

今回読み返した彼女の言葉の中から一つだけ再録する。本のタイトルの意味にもつながる言葉だ。

「もしもあなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。これは非常に重要な瞬間です。なぜなら、完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、自由になることを積極的に受け入れるということだからです。何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、恐れていた無と完全に向き合うことができます。この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた真実という秘密の宝石が露にされます。見つかったダイヤモンド、それはあなたです。」

これは、最近の私にとってとくに意味深い。このブログ(7月10日「さざなみのような心の反応」とその前後)にも書いたが、このころ瞑想や日常のサティで、思考に伴う感情や、その思考の性格などにサティを向ける心随観を中心にするようになり、瞑想が深まった時期があった。この日のブログに、「思考やそれに伴う感情の動きに心随観していると、自我の一瞬一瞬の働きにとても敏感になっていく。と同時に、全体としての自我のとらわれの傾向にも気づきが深まっていく」と書いている。心随観を徹底することは「感情の重なり」を奥へ奥へと分け入っていくことであった。

現在は、瞑想やサティをさぼりぎみなのだが、このガンガジの言葉が、あの7月ごろの体験が重なり、強く印象に残った。サティを、そして心随観をもっと徹底させようと思った。
コメント (6)
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