瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

一週間の小食を振り返って

2005年05月19日 | 瞑想日記
本格的な小食をはじめて一週間になるが、調子はとてもよい。2時、3時まで仕事をしていても、翌日ほとんど疲労がたまらない。以前は、夜11時ごろに一度眠気が来て、少し休んでうとうとすると、再び目が覚めるというパターンが多かったが、今は、眠気なしで続けることができる。

一日断食の直後に宿便がでると書いてあったので期待していたが、それらしきものは出なかった。ところが今日、帰宅後にまず硬い便がかなり出て、1時間ほど後にに今度はゆるい便が多くでた。さらに夕食後に、またゆるい便がでた。三度の量を合わせるとかなりになる。ある程度の宿便が出たの言えるのだろうか。もう少し様子をみよう。

小食が継続すると胃が小さくなるので、夕食でもある程度で腹が一杯になる。小食が、ほとんど苦痛もなく続いていく好循環が生まれる。その状態での胃腸のあたりの爽快感や体調から振り返ると、今までいかに不必要な過食をしていたかが実感される。要するにバランスを崩していながら、そのことが実感できない体になっていたわけだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれが等価に

2005年05月16日 | 瞑想日記
今日の準備やら何やらで寝たのが3時過ぎだったが、日曜日は9時間も寝たので調子よく目覚める。昼食は、野菜サラダやほうれん草のごま和えなど野菜だけを軽く食べる。一日快調であった。昼を食べるのと抜くのとを一日おきぐらいにやっていこうかと思っている。帰宅後軽く自発動気功のあと、瞑想15分くらいか。瞑想の中で自分の弱さを防御して無理をしていた(今もしている)自分を感じていた。

そのあと、夕食の用意。妻が午前中にほとんど作ってあったカレーにナスを入れ、ルーを加える等々。最近、ますます家事に時間をとられるが、それがあまり苦にならない。たとえば本を書いていた頃などに比べると、どうしてもこれをやらなければというのがないので、家事に時間をとられても、パソコンに向かう時間が少なくなっても、ほとんど気にならない。ただ、次はこんなものをまとめて行きたいという構想はいくつかもっている。それも時間がゆるす限りでやっていけばよい。

昨晩から、息子のことで少し心を痛めていた。職場でもときどきその痛みがよみがえった。その気持ちにサティは入ることが多かった。そんな中で、家事だけではなく、家族とのかかわりの姿勢がかわりつつあると感じた。瞑想も、小食も、自分の探求の過程を文章化することも、家事も、家族ともかかわりも、仕事も、それぞれが等価に自分の前にあって、とくに何かに執着するということが少なくなっているような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復食

2005年05月15日 | 瞑想日記
昨日、瞑想は朝、夕、夜と3回行ったが、いずれもあまり深まらなかった。とくに夜11時ごろになって行った瞑想は、落ち着かずすぐやめた。パソコンに向かって一仕事と思ったが、あまり集中できない。空腹感はそれほどなかったが、やはり少しエネルギー不足になったか。めずらしく12時前に寝てしまった。

朝も8時過ぎまで寝ていた。ただ起床後は、それほど空腹感もなく、家の片付けなどで動いた。(最近我が家は、あちこちの部屋の家具の移動や整理・片づけを行っている。今日は台所と居間の家具の配置換えや整理である。) 動いてふらふらになるということもなかった。9時半ごろおかゆの朝食。食べたあと蠕動がはじまり内容物が動く感じが強かったので、甲田氏の本に書いてある通り宿便がでるかなと思ったが、そこまで大量には出なかった。

ともあれ、週1の断食は、充分可能であることが分かった。回を重ねる毎に体もなれていくだろう。もちろん一日一食も続けていきたい。ただ、サラダだけの昼食を適度に入れることも考えている。

私にとって、瞑想、小食、そして自発動気功(活元)が日々の瞑想的な実践の3要素ということになる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日断食

2005年05月14日 | 瞑想日記
一日断食を行う。昨晩の夕食後から今日寝るまで水分以外はとらない。あまり空腹感はないのでは、と予想していたが、21時現在、やはり空腹感はない。14時過ぎごろ少し感じたくらいか。体調もいたって良好。午前中、ゴミの片付けや掃除、洗濯物を干すなど、いつもの活動をしたが、疲れることもなかった。

甲田光雄の本では、空腹でふらふらとなったときは、こんぶと椎茸のだしで作るすまし汁(ほかに黒砂糖としょうゆを入れる)が有効だということだったので、夕方に作ってみた。少し甘すぎたがおいしかった。ビタミンCを有効に摂取するために「柿茶」がよいと書いてあったが、これは買っていない。食べ物による水分摂取がないため、意識して水は多く飲んだ。これで明日の朝は、復食としておかゆ一杯に梅干ひとつを食べる。昼からは普通にもどしてよいとのこと。

今のところ少し口さびしいかなと感じるくらいなので、これなら毎週一回のペースで断食するもの可能だと感じた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べることへの渇愛

2005年05月13日 | 瞑想日記
◆小食
自分の体にとってもっとも適した食事の量があるだろう。実はそれは、現代栄養学が教える量に比べるとはるかに少ないものらしい。本当に体に必要で、本当に体が要求する量以上に食べてしまうのは渇愛であり、無明に他ならない。体のバランスを崩してまで食べてしまう無明は、やはりどこかで心理的な問題が反映しているのだろう。その意味でも、小食は体質の改善ばかりではなく、生き方の変化にかかわっているのだ。

小食に徹するようになって4日になるが、今の胃腸の感覚と、それ以前の胃腸の感覚との違いがはっきりと分かる。今は、胃腸が休まって腹のあたりが心地よく安らいでいる感じがあるが、この感じから振り返ると以前がいかに胃腸に負担がかかっていたかがとてもよく分かる。この感覚を実感しているかぎりは、食べ過ぎてしまうことはないだろう。胃に負担をかける気にはとてもなれないのだ。しかし、食べ始めるとこの感覚は鈍っていく。そして食べ過ぎの悪循環に陥っていくのだ。

教育相談関係の研究会で、昼前から出張であった。会場に少し早めにつき、ほんの少しだけ空腹を感じたので、今日は日本そば屋で昼食をとった。明日は一日断食を試してみるつもりだ。

◆夢
職場の一室。新転任の人々を迎えての歓迎会のようだ。全体の歓迎会が行われたあと、組合員だけによる歓迎会行われるようだった。組合員ではないのに、なぜか私はそこに残っていた。やがて組合員による歓迎会がはじまろうとしている。私は急に、この場にいるのはふさわしくないと感じ、廊下にでる。

廊下にでて間もなく近くにいた新任らしい若い女性が突如、窓から飛び降りてしまう。私は、びっくりして「救急車だ」と叫ぶ。下をのぞき見ると女性がうつぶせに倒れている。もういちど「救急車を早く」と叫ぶ。すると、近くにいた中年の女性が、「まだあわてる必要はない、同じようなことを繰り返しているのだから」という。私はわけが分からなかったが、ふと窓の外を見ると、窓のすぐ下、左側に屋根のような突き出した部分があり、そこにもう一人女性が倒れている。これなら窓から飛び降りても大丈夫なはずだ。下に倒れていた女性と同一人物なのかとも思う。

そんなところで夢は終わった。この夢については何もわからない。ただ、もしかしたら私の中の何かの死と再生にかかわる夢かなとも思った。とりあえずここに記して心にとどめておきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする