【GHQ焚書図書開封 第144回】
-大東亜戦争の文明論的な意義を考える-父祖の視座から
「国家と言うものは、いざという時に戦争に訴える権利がある」マキャベリー
「内戦は熱病のようなものだが、対外戦争は健康に良い」ベーコン
「正しい戦争と不正な戦争の区別がある」セイ アウグスチヌス
世界政府的発想での強権発動は許されるのか?
17世紀の「刑罰戦争の可能性は自然法にかなっている」とのグロティウスの思想が、ロバート・ジャクソン司法長官によって戦間期に再浮上。
第一次世界大戦後、世界政府的役割を果たしうる存在として、アメリカが人類の代表を名乗り、正義、不正義を決めるパワーを持った。
そこに突然として現れた若き大国の日本がアメリカにとって目の上のたん瘤となった。
アメリカにとって、日本は貿易相手国として重要な存在であった。特に石油輸出先国、生糸輸入元国を失うことは米国内業界からの反発を受けることは必至であった。ところが、運よくデュポン社が生糸に代わるナイロンを発明したことから、そこから得た利益で石油業界の損失を補てんするという離れ業を用いて日本を封じ込めることの同意を取り付けた。このようにして、邪魔者を取り除くための戦争開始へと舵を切ったのである。
アメリカはかわいそうな支那をいじめている日本は悪魔とでっち上げ、石油圧迫、くず鉄禁輸、資産凍結などあらゆる分野で日本つぶしを始めた。
グローバリズムは、陸地、海洋の自由取得を容認する言葉から出ている。
インディアンの虐殺も人類の名において許されるというのがキリスト教のヒューマニズム。
ローマ法王の勅許によって欧米人は勝手に地球上に縄張りの境界線を引く人種となった。(トルデシリャス条約:1492年)
アメリカは、人権、人権と言いながらチベット、ウイグルの悲劇を無視し、弱小国ミャンマーの政府を人権の名において迫害し、世界最大のナショナリズム国家イスラエルを支持するというダブルスタンダードの国家である。アメリカは自国のナショナリズムをグロバーリズムと言うのである。
旧戦勝国によって今日もなお再占領政策を強いられている日本。その手先となっているのが中韓の反日外国人。
日本は部族国家であり、天皇陛下は土人の酋長と軽蔑したキッシンジャー。
昭和天皇の大喪の礼をみて日本をアニミズム信仰の国家として神を信仰する白人国家の優越感を露わにしたドイツ連邦大統領バイツデッカー。
朝日新聞記者は、ローマ法王の葬式にたくさんの群衆が集まっても批判的なことは何も書かないのに、昭和天皇の崩御に際し、記帳に集まった多くの国民をみて「世界の国々は変な国と見下すだろう」と反日的記事を書くことが正しいと信じている。
戦後、日本教育界は、日本の正義には一切触れず、子供たちに、欧米の正義、日本の不正だけを教えてきた。
気高いが、どこか悲しい今上陛下と皇后陛下、両陛下の過度に謙虚なお姿が痛ましく見える。
神の名において、平和の名において、戦争を繰り返し続ける欧米欺瞞国家に対して、私たちは、天皇の名において私たちの人生観、信仰を主張できないのだろうか?近代的個我意識の表現として主張できないのだろうか?
戦後、日本人の戦争意識は時間の経過とともに「なぜ、正しく、より良く戦えなかったのだろう」から、「なぜ死を覚悟できたのだろうか不思議だ」に変わってしまった。
一橋大学の学生は、戦後、天皇陛下を「天ちゃん」、皇后陛下を「おふくろ」、皇太子を「せがれ」と言って野次、罵倒していた。
作家 城山三郎は、少年の頃典型的な軍国少年で、予科練に進み、戦後「大義の末」と言う本を書き、軍国主義への憎悪感を露わにしたが、一橋大学学園祭に訪れた皇太子に出会い、憎悪感どころか、「国体」に出会い、そのカリスマ性に身震いした。
杉本中佐、三島由紀夫の天皇観は、絶対超越神として天皇陛下を信仰するものであった。
参考文献:「神やぶれたまはず」長谷川三千子 「大義 杉本五郎中佐遺著」杉本五郎
2014/1/22に公開