GHQ焚書図書開封第191回
-全集第12回刊行記念西尾幹二講演会2-
ー昭和のダイナミズム 歴史の地下水脈を外国にふさがれたままでいいのかー
他者に負けなければ、生きていけなかった日本
日本と、中国、韓国の外交姿勢の違い
中国、韓国人は、人の話を聞かないで、自分が如何に正しいかを一方的にまくしたてる人が多い、従って勝負どころは、いかに相手を圧倒するかにある。
昭和は、江戸時代の継承であり、江戸時代に花開いた文化は昭和に花開いた。
国体論は日本人論と皇室を述べたものである。文部省の「国体の本義」は、国民は天壌無窮の皇統を仰ぎ奉りひたすら忠義忠誠の心を唱えなさいというものであった。神功皇后、明治天皇、建武の中興、醍醐天皇時代の内容が多く、鎌倉時代を否定し、江戸時代を少なくするという皇室偏重の歴史であった。この当時、大川周明は「2600年史」に鎌倉幕府成立に革新の意図を認められると記載したことから、東京刑事地方裁判所に起訴されたことがある。文部省の「国体の本義」よりも山田孝雄の「国体の本義」のほうがバランスがとれている。
戦前生まれで、戦後保守思想家であった人の中で、小林秀雄は「利口な奴は戦争をたんと反省すればいいよ、俺は反省なんかしないよ」と発言しており、また福田恒存も「戦争責任はあるかも知れないが、そんなものは成り立たない」との中途半端な発言しかしておらず、更に一歩踏み込んで、日本の立場からアメリカにもそれ相応の責任があるとまでは言わなかった。親米に傾いていたためか、日本の置かれていた立場を主張すると言う点で何かが欠けていると思わざるを得ない。
竹山道雄、小林秀雄、福田恒存は、当時のお前たち日本人は劣悪な民族と言われる風潮の中で、アメリカ人記者の南京虐殺など旧日本軍が行ったとされる蛮行についての質問に対して、弁解こそしたが、公的にも私的にも反論できなかった。それは、戦中軍部に協力していた大川周明、平泉澄(きよし)、徳富蘇峰、仲小路彰、山田孝雄に対して反感をもっていたからだ。
戦争に負けたから、協力者は全て悪であるとレッテルづけするなら、それは戦勝国の論理でしかない。
戦争には負けたけれど、あの時代の日本には数多くの選択の道があったはずであり、開戦に追い込まれた協力者の中で、誰が唱えていたことが、たとえ負けたとしても貴重な思想であり、選択であったかを問うべきで、負けたか、勝ったかの根拠だけを問題とするならば、それは戦争、政治の論理である。
負けても勝っても立派だったことは何か、あの時代の日本を襲った必然性の基準によって評価することが求められるべきである。
阿南惟幾(あなみ これちか)、下村定(しもむら さだむ)は、平泉澄の愛弟子であった。
参考文献:「我が歴史観」平泉澄、「政治と文学」小林秀雄、「文学と戦争責任」福田恒存、「文学者の戦争責任」吉本隆明
2019/2/20に公開