アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン(ロシア語:Александр Исаевич Солженицын
は1970年にノーベル文学賞を受賞しロシアでは、著名な文学者であった。
今月4日にモスクワで89歳の人生を終えた。
{廃墟のなかのロシア} 著者・アレクサンドル・ソルジェニーツィン
発行所 (株)草思社
発行2000年10月20日
6章 「困惑するロシア、そして東洋」
一部抜粋
ロシアは、偉大なアジアの隣人である中国やインドに比べて人口が多いわけでもなく、また、我々は日本人のように勤勉で探求心が旺盛なわけでもない。
しかし、我々も含めて四つの国それぞれが別々の世界、別々の文明を持っているのであり、ロシアだけが脱落するような事があってはならない。そしてこれらの国々との対等な関係を樹立していかなければならない。
我が政権は交代したが、南クリル諸島「千島列島」の問題に対しては一貫した態度をとってきた。
しかし、この態度は、あまりにも愚かで、許しがたいものである。
ロシア人のものである何十という広大な州をウクライナやカザフスタンに惜しげもなく譲渡し、80年代末からは我が政権は国際政治の舞台でアメリカに取り入ってきた。それなのに、他に例を見ないようなエセ愛国主義の意固地と傲慢から、日本に千島列島を返還することは拒んできている。
これらの島がロシアに帰属したことは一度もなかったし、革命以前にロシアが所有権を主張したことは一度もなかった。「ゴロヴニン艦長は19世紀初頭に、プチャーチン提督は1855年に、現在日本が主張している国境を認めていた。1904年に日本の攻撃を受け、国内戦のときには干渉されたから、ロシアは侮辱を受けてきたのだという弁解をするのなら、1941年に締結された5年期限の(中立)条約を破って、ソ連が日本を攻撃したことは、いったい侮辱に当たらないとでもいうのだろうか」。
ロシアの未来が、かかっているかのように、これらの島を抱え込んで放さない。国土の狭い日本がこれらの島の返還を要求するのは、国家の名誉、威信に関わる大問題だからである。
周辺の漁業資源の問題をはるかに越えた問題なのだ。
漁業資源の問題なら協定を結べばよい。来るべき世紀で、ロシアが西にも南にも友達を見つけられず、ますます窮屈な思いをすることになるとすれば、この充分に実現可能と思われる善隣関係、さらには友好関係を妨げる理由は何もない。
人物説明
「ゴロヴニン艦長」ロシア海軍の士官で、1811年に国後島で日本側に捕われる。1813年に釈放され帰国後「日本幽囚記」を著した。
「プチャーチン提督」 1853年、長崎に入港して開国を求めた。
その後、大阪・下田に入港し、1855年日露修好通商条約を結んだ。
著書翻訳・井桁貞義 上野理恵 坂庭淳史
は1970年にノーベル文学賞を受賞しロシアでは、著名な文学者であった。
今月4日にモスクワで89歳の人生を終えた。
{廃墟のなかのロシア} 著者・アレクサンドル・ソルジェニーツィン
発行所 (株)草思社
発行2000年10月20日
6章 「困惑するロシア、そして東洋」
一部抜粋
ロシアは、偉大なアジアの隣人である中国やインドに比べて人口が多いわけでもなく、また、我々は日本人のように勤勉で探求心が旺盛なわけでもない。
しかし、我々も含めて四つの国それぞれが別々の世界、別々の文明を持っているのであり、ロシアだけが脱落するような事があってはならない。そしてこれらの国々との対等な関係を樹立していかなければならない。
我が政権は交代したが、南クリル諸島「千島列島」の問題に対しては一貫した態度をとってきた。
しかし、この態度は、あまりにも愚かで、許しがたいものである。
ロシア人のものである何十という広大な州をウクライナやカザフスタンに惜しげもなく譲渡し、80年代末からは我が政権は国際政治の舞台でアメリカに取り入ってきた。それなのに、他に例を見ないようなエセ愛国主義の意固地と傲慢から、日本に千島列島を返還することは拒んできている。
これらの島がロシアに帰属したことは一度もなかったし、革命以前にロシアが所有権を主張したことは一度もなかった。「ゴロヴニン艦長は19世紀初頭に、プチャーチン提督は1855年に、現在日本が主張している国境を認めていた。1904年に日本の攻撃を受け、国内戦のときには干渉されたから、ロシアは侮辱を受けてきたのだという弁解をするのなら、1941年に締結された5年期限の(中立)条約を破って、ソ連が日本を攻撃したことは、いったい侮辱に当たらないとでもいうのだろうか」。
ロシアの未来が、かかっているかのように、これらの島を抱え込んで放さない。国土の狭い日本がこれらの島の返還を要求するのは、国家の名誉、威信に関わる大問題だからである。
周辺の漁業資源の問題をはるかに越えた問題なのだ。
漁業資源の問題なら協定を結べばよい。来るべき世紀で、ロシアが西にも南にも友達を見つけられず、ますます窮屈な思いをすることになるとすれば、この充分に実現可能と思われる善隣関係、さらには友好関係を妨げる理由は何もない。
人物説明
「ゴロヴニン艦長」ロシア海軍の士官で、1811年に国後島で日本側に捕われる。1813年に釈放され帰国後「日本幽囚記」を著した。
「プチャーチン提督」 1853年、長崎に入港して開国を求めた。
その後、大阪・下田に入港し、1855年日露修好通商条約を結んだ。
著書翻訳・井桁貞義 上野理恵 坂庭淳史