心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

珍島旅行顛末記ー珍島神秘の海の道祭り

2016-04-12 | 地方旅行

                  珍島


          赤マル内が 回洞里(フェドン村)の海の道


          バス停反対側の「会場入り口」の標識


さて珍島バスターミナルから島内バスに揺られること30分余り、超満員の小型バスは
祭り会場のある回洞里に着きました。
今晩の宿を決めたり細々したことを済ませて祭会場に出ると、食べ物の屋台やら土産
物・特産品の屋台が並び、上空では祭を盛り上げるためでしょうか、横長のバルーン
みたいなものに椅子をくっつけて、そこへ人が座れる様にした物が3台(機)、自在に
飛び回っています。

簡単にお昼を取り祭の中央会場へ行くと、何やら民話に題材をとったらしき演劇を
上演していましたが、ほとんど終了間際でした。



続いての公演は韓国の無形文化財だかに指定されているという밀양백종놀이(密陽
百中踊り)、昔の農家での行事が幾つかのテーマに分けて、踊りで表現されていて
一つ一つの踊りの所作の意味は分からないものの、楽しそうに踊る姿は見ている
だけで楽しいものでした。多分私の祖先も、日本の農民として同じような農家の
一年を過ごしてきただろう記憶が、私のDNAに刻まれているのかもしれません。



又この公演には、プロの踊り手が出演されているらしく中央で踊る方の、他の方達の
素人っぽい様子とは違って、優雅でさすがな姿は必見の価値ありと思いました。
とりわけ後半で長鼓(?)を演奏する方と、掛け合いのようにして踊る部分がとても
興味深くて、意味がわかって見られたらどんなに良かったかと思いました。





韓国の祭りを見ていておもしろいのは、踊りを見ていた観客がいつの間にか
一緒になって踊り出さないではいられないそんなノリを感じられる所です。
この時も最前列に陣取っていたアジュンマの一団が踊り出していました。



5時に公演は終了し、海の道が姿を現し始める6時まで各自会場内で楽しむなり
準備するよう案内があり、私たちは一旦民宿へ戻ることにしました。
宿の縁側に寝そべって待つうち、いつの間にかウトウト・・・・気が付いたら
6時近くになっていました。

会場に戻り、海への入り口に急ぎます。潮は既に大分引いていました。



入口の方へ目をやると、何だか向こうにある島2つの内、向かって右の島へ
向けて線が走っているように見えました。錯覚でしょうか?いいえ、多分
あれが海の道!



同じ様な写真ですが、もう一枚



人々は既に海の中へ分け入っていました。





大分、出遅れた?いいえ、もともと2.8キロある向こうの島まで行って戻って
くるのは無理ですから、3分の一程度まで行かれればいいかな^^

歩く人々の傍ら若布摘みや、潮干狩り(?)に余念のない人々もいます。






民宿を出る時セスクシに、割れた海の道を歩くより若布摘みに夢中な人も、毎年
たくさんいるようだと話すと、そこは数十人の台所を預かるアジュンマ、若布摘み
をするつもりか、しっかりビニール袋を掴んで出発しました。
ここで「若布摘みは?」と聞いてみたのですが、しないとの返事でした。


           セスクシとチング


             私とチング

会場は、深みにはまる危険の無い様、安全ベルトも張られています。(この方たち、潮が
満ちてきたらどうなるんだろう?)




足元に自信のないチングは、先に戻ると言って別行動になりました。放送をする司会者の
いる近くで再会予定です。

多分干潮のクライマックスの時間に合わせてだと思いますが、風船が放たれました。
いつまでも遊んでいたいのは山々ですが、潮が満ちてきて戻れなくなっても困ります。
風船を一しきり眺めた後、私たちも引き返しました。





地上に戻って写した海の道、まだ大勢の人影が向こうの島まで伸びています。








民泊にかかわる後日談(その日のうちですが)もありますが、無事神秘の海の道を
歩いた所で本日は終えて、後日談はまたの機会に報告したいと思います。
お読みいただきありがとうございました。