きのうは、本当に人の命というものを守っていくということについて、責任を痛感しない、発言を聞かされて、大変ショックでした。人間として許せない感覚の発言と僕は思います。人の命をなんと考えるのか。自分たちが、人の命を守る覚悟を、いろんなプロ的な職業人たちの多くが放棄している、今の日本の現実も僕には、許せないものがあります。こうした人々が、人の命や健康を軽視していく事は絶対に許されない事です。僕は、きのうの午前中からこのことを何十時間も考え続けています。そういう人たちは、いったいなんのために仕事をしているのか、僕には全く理解できません。
次に、放射性物質について、何回も何回も同じことを言いますが、わからない人があまりに多く、ぼくには理解できません。
ツイッター上で、多分創作キャラの福島のママが、色々科学者に聞くと、危険がないことがわかったというとりまとめがあり、これが正しいという人々が多数いるというどうでもよい話があります。そこでは、ずっと空間線量が、チェルノブイリ並かどうかという議論がなされています。空間線量、外部被曝の感覚でいつまでもどこまでも議論しています。正直、ほんとに、こんなものに価値があると言い張る人々が多くて僕はよくわかりません。多分、これは、工作に近い作業の匂いが漂っています。
空間線量、つまり外側から、人体に向う、放射線、たとえるなら光のようなイメージでしょうが、これのみなら、本当に高くならないと、人体に明瞭な害はありません。まず、これを年間一ミリの基準で考えるのが基本で、この上で、どこまでなら許容できるのかと考えるのが、普通の感覚です。人により、性別により、年齢により、異なります。どちらにしても、外からあたるイメージです。外部被曝。
東海村の臨界被曝事故は、放射線の事故でした。なくなった方たち以外の被害が、最小限に済んだのはそのためです。
今回の事故は、放射線ももちろん高く出ていますが、東北の大半と、関東全域には大量の放射性物質が降りました。
これは、光を放つイメージだけでなく、それ自体が非常に小さいものですが、毒物の粉塵のようなもの、花粉のようなもの、粉のようなもののイメージを持ってください。しかも、人が中に取り込むとものすごく毒になるもの。そうしたものが放射性物質です。そのなかで、わかりやすく計測できるのがセシウムです。セシウムが最も毒性が強い訳でなく、指標としてセシウムで見ているだけです。
この放射性物質は、甲信越や静岡まで降り注いでいます。この放射性物質を取り込む事が怖ろしいのです。それが内部被曝。
放射線と放射性物質という感覚。光のイメージと、毒のある花粉のイメージ。外部被曝と内部被曝の違い。吸気、接触、食事などから取り込まれる感覚。この感覚をしっかりもっていただかないと、本当に困ります。放射性物質土壌調査をおこなう意味がそこにあるのです。
群馬講演会の詳細です。現在、浜松市や千葉・鴨川でも講演会の依頼がきています。沖縄も開催するかもしれません。確定次第ご連絡いたします。
==========================================
木下黄太講演会 IN 群馬県
日時:10月23日(日)開場午後1時半 午後2時から4時すぎまで。
場所:玉村町文化センター 視聴覚室 (定員82名)
http://www.tamamura-bunka.or.jp/
参加費:500円
申し込み:(1)お名前、(2)連絡先メールアドレス、(3)参 加人数を書いていただき、(4)meglian2004@yahoo.co.jp へメールしてください。なお小さなお子様をお連れになる
予定の方は、その人数もお書きください。
なお会場は床なので敷物か座布団椅子などをご持参下さい。
参加費は中学生からは必要になります。
========================================