俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ノーリスク

2008-02-12 19:33:30 | Weblog
 リスクを避けようとすると却って危険なことがある。倒産する恐れがあるからと銀行に金を預けなければ火事や泥棒に会う恐れがある。
 外出が危険だからと外へ出なければ「引きこもり」になってしまう。
 輸入食品が危険だからと国産食品しか食べなければ栄養が偏ってしまう。(実は国産食品なら総て安全な訳ではない。どういう訳かマスコミは余り騒がないがかなりの頻度で無登録農薬や基準値以上の残留農薬が検出されている。)
 怪我を恐れてスポーツをしなければ健康を害する。
 飛行機を怖がっていたら海外旅行には行けない。
 ノーリスクを目指せば何もできなくなってしまうのだから、ある程度のリスクを受け入れたほうが楽しく安全に暮らせるだろう。ノーリスクはノーリターンを招く。

ゴボウ

2008-02-12 19:25:23 | Weblog
 第二次世界大戦中の日本軍による米兵捕虜虐待の例として「木の根や紙を食べさせた」という記録が残っている。ゴボウや海苔は食べ物には見えなかったのだろう。
 何しろ「四つ足なら机以外、2本足なら親以外は何でも食べる」と言われる中国人でさえゴボウを食べないらしい。薬用に使われているそうだ。同じ根菜でありながら大根や人参ほど普及しないのはいかにも根っ子らしい外見のせいだろうか。
 韓国人と台湾人はゴボウを食べる。但し昔からではなく、多分日本が占領した時に定着した比較的新しい食文化だろう。
 中国ではゴボウが栽培されている。食べないのになぜか?日本に輸出するためだ。商社が栽培させているのだが、これが日本に輸出できなければ大変なことになる。中国国内で捌くことはまず不可能だからたちまち破産してしまう。日本以外に販路が無いのだから商社に安値で買い叩かれることもあるだろう。
 こんなローカルな食べ物まで海外で作らせたりせずに、せめてゴボウぐらいは自給率100%を目指すべきだろう。

地産池消

2008-02-12 19:14:11 | Weblog
 フードマイレージが少なくなるなどの理由から地産池消が奨励されているが、本当に良いことなのだろうか。確かに運送が少なくなればその分環境に対する負荷は少なくなるし、食品の鮮度も高くなることが期待できる。しかしそれ以上のデメリットがあるように思えてならない。
 まず摂取する食材が少なくなることだ。同じ食材ばかり食べていれば栄養が偏る。こだわり過ぎれば内陸部では海産物が食べられなくなるし、淡路島では毎日玉葱を食べ続けねばならなくなる。
 そのこと以上に心配なのは有害物質が蓄積されることだ。極端な例だが、かつて水俣市に住む人は地元の新鮮な魚介類を食べて有機水銀中毒に罹った。同じ土地の食べ物ばかり食べれば微量の有害物質が蓄積される恐れがある。
 余り健康に良くないと言われるインスタントラーメンは同じ品を食べ続けると危険性が増すと聞いたことがある。同じ食品添加物が蓄積されるからだ。
 また地価の高い場所で農業をすれば農産物の価格も高くならざるを得ない。それでも地産池消を推進するべきだろうか?

官民格差

2008-02-12 19:01:22 | Weblog
 新聞休刊日の今日、ネットでニュースを見ていたらあっと驚く記事があった。「大阪市、カラ残業を全庁調査」(朝日新聞)という記事だ。
 (コメント欄に記事のアドレスを掲載)
 今、民間では「名ばかり管理職」やサービス残業が問題になっている。ところが大阪市役所ではカラ残業やカラ出勤が問題になっている。とても同じ国のこととは思えない。
 どちらが悪質かと言えば個人の犯罪的行為にすぎない大阪市より組織ぐるみの民間企業のほうが悪い。それでも・・・。
 もしこんな埋蔵金が沢山あれば橋下知事も「善良な公務員」を敵に回さずに財政再建ができるのではないだろうか。