俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

情報の選択

2008-02-15 16:13:31 | Weblog
 一般に、自分の信条に沿う情報は印象が強く記憶にもよく残り、信条に背く情報は印象が弱く記憶にも残りにくい。
 但し信条を覆すような事件は強烈な印象を残す。しかしこれは例外でしかない。通常は現在の信条を補強する方向で脳が勝手に情報を取捨選択する。考えずに済ませようとするのだから、脳はかなりの怠け者なのだろう。
 その結果として偏見を持つ人は益々偏見に凝り固まることになる。正しい認識を持つためには自分の信条に背く情報を脳の希望に背いて積極的に採り入れる必要がある。

特殊と一般化

2008-02-15 16:07:14 | Weblog
 米軍基地に賛成する訳でもなければ、いわんや憎むべき暴行犯の弁護をするつもりなど毛頭ないが、米兵による中学生暴行事件を米軍基地反対運動に結びつけるのは無理があり過ぎる。
 全く結びつかない訳ではない。トヨタ流で「なぜ」を5回繰り返せばこうなる。「なぜ少女が暴行されたのか」「アメリカ人が沖縄にいるから」「なぜアメリカ人が沖縄にいるのか」「米軍基地があるから」「なぜ米軍基地があるのか」「日米安全保障条約があるから」「なぜ日米安全保障条約があるのか」「自民党が政権を握っているから」「なぜ自民党が政権を握っているのか」「日本人の多数が自民党に投票したから」・・・これでは米軍基地だけではなく自民党に投票した日本人も悪いことになってしまう。
 あくまで特定のアメリカ人が悪いのであって米軍という組織そのものの責任ではない。これは企業の1社員の個人的な犯罪を理由にその企業の存廃を問うようなものだ。
 最近、特殊な例を一般化し過ぎることが目立つ。論理が飛躍し過ぎる。
 中国製冷凍餃子から農薬が検出されたからといって中国製の食品総てや冷凍餃子総てに農薬が含まれている訳ではない。
 大阪市の職員がカラ残業をしたからといって大阪市の総ての職員がカラ残業をしている訳ではない。実際ある職員がカラ残業を拒否したことからこの事件は発覚したのだから。
 特殊な事例を根拠にして全体を非難すべきではない。

社畜

2008-02-15 15:49:15 | Weblog
 野生動物を人工的に品種改良して家畜は作られる。鶏の先祖は赤色野鶏というキジ科の鳥らしいが、多分、体は鶏よりも小さくて空を飛べるし、毎日のように卵を産む訳ではなかっただろう。人間に都合の良いように品種改良して鶏は生まれた。
 個人は必ずしも組織にとって都合の良い人間ではない。個人からその組織にとって都合の悪い部分を品種改良して社畜が生まれる。社畜はその組織でしか通用しない価値観に従い、その組織または業界でしか通用しない言葉を使う。一旦家畜になった獣が野生に戻れないように社畜は本来の個人に戻ることはできない。
 退職した人が「濡れ落ち葉」になるのはその組織内でしか生きられない社畜になってしまったせいだろう。

農地改革(改)

2008-02-15 15:38:31 | Weblog
 敗戦直後のGHQによる農地改革は何が狙いだったのだろうか?学校では「地主から小作農を解放した民主主義社会実現のための素晴らしい政策」と教わったが、本当だろうか?
 もともと日本は農業国だった。米本位制の経済なんて世界中のどこを探しても見つからない日本だけのものだろう。
 適度な降水による豊富な水と温暖な気候に恵まれ、勤勉な国民性を持つ日本は理想的な農業国と思える。それがなぜ食料自給率が僅か40%という異常な国になってしまったのか、と考えると「アメリカの陰謀」を想定せずにはいられない。
 当時も今もアメリカは世界最大の農産物輸出国で、中東が石油で世界を脅すようにアメリカは穀物と軍事力で世界を支配する。アメリカの一国支配のために日本の農業は邪魔だったのではないか。小作農の解放という大義名分のもと、大量の零細農家を生み出して、農業を産業から家業にしてしまい、絶対にアメリカと競争できないようにしたのではないか。日本の農業を衰退させ、食料品を未来永劫アメリカから輸入せざるを得ないようにするのが狙いだったのではなかろうか。アメリカの大規模農業のメリットを知るたびに、日本の小規模農業のデメリットを感じざるを得ない。
 一般教養程度の歴史知識しかない私にはこの仮説が成り立つかどうか証明するだけの能力は無い。ただ、昨今のアメリカのやり方を考えるとアメリカが自国の利益を考えずに、他の国に対して良いことをするとは思えない。

必然の死(改)

2008-02-15 15:38:11 | Weblog
 「人は死ぬ。だから不幸だ。」これがカミュの「カリギュラ」のテーマだ。聡明な青年君主のカリギュラは恋人の死をきっかけにして、この言葉をキーワードにして退廃生活に浸る。ショーペンハウアー風に解説すると、「有限の幸福しか持ち得ない人間には無限の不幸である死が待っている。人間の人生の総和は不幸でしかあり得ない。」というところだろうか。
 大学生の時にはこの言葉に賛同したものだが、その後、評価を変えた。「死が無限の不幸であり得るのは無限に幸福な人間だけで、有限の幸福を享受している人間にとっての死は有限の不幸でしかない。」ということだ。人が死ぬことは必然であり、必然に対して駄々をこねても仕方が無い。肘が外に曲がらないとか、100mの巨体と100万馬力の力を持たないからといって不幸なわけではない。
 ただ、たとえ死ぬことが必然でも、ある特定の時に死ぬことは必然ではない。思いがけない死は不幸だ。お迎えが来るまでは、ゆっくりと眠りに入るように死ぬための準備を進めて行きたい。

カエルになった夢(改)

2008-02-15 15:37:49 | Weblog
 どこかの山奥で畑を耕して、父と妹と3人で自給自足の生活をしていた。豊かとは言い難いが助け合って楽しく暮らしていた。
 ある日、化け物が私たちの畑に現れた。体中イボに覆われそのイボから臭い汁を撒き散らかし目玉が飛び出した醜い化け物だった。私たち3人は農具やあり合わせの武器を使って化け物を殺した。
 見れば見るほど醜い化け物で、妹は化け物の醜さを罵りながら死骸をいつまでも殴り続けた。まるでその痕跡すら許さないほどに憎悪を込めて殴り続けた。
 その時、父が私たち兄妹に言った。「お前たちはワシの子供ではない!」
 父に指摘されて初めて気付いた。私たち兄妹はオタマジャクシで、父はナマズだった。醜い化け物はイボガエルだった。私たちは家から追い出された。
 数ヶ月経った(と思う)。私はすっかりカエルになって水面を泳いでいた。水中に妹の姿が見えた。彼女はまだオタマジャクシのままだった。但しガリガリに痩せていた。多分、変態を防ぐために絶食に近い状態を続けていたのだろう。しかし彼女の体には後ろ足が生え始めていた。
 「絶対に認めない(※)」夢の中なので言葉のような不便な道具を使わず、彼女の情念が直接私に伝わり、その余りの激しさに恐怖を感じて目を醒ました。
(※)他に「許さない」とか「拒絶する」とか「信じない」とか「我慢できない」などの様々な否定的感情が怒りと悲しみと苦しさみを伴って直接伝わった。