社会の役に立つことで自分に価値を見出す人が決して少なくない。自分は社会の役に立っているのだから立派な人間だという理屈だ。
しかし皆が社会の役に立つために生きるなら社会は何のために存在するのだろうか?もし個人が複雑な機械の部品なら、部品が役に立つかどうかではなく、その機械が何のために存在するのかが問われねばならない。
かつて多くの犠牲のもとで築かれた満州国では満州国を守るためにその数百倍・数千倍の犠牲が正当化された。社会という幻想は「現実を食い殺すサトゥルヌス」のようなものかも知れない。
共同幻想のために貢献することはその共同幻想がそれなりに正しければ有益だが間違った共同幻想に貢献するなら有害だ。
しかし皆が社会の役に立つために生きるなら社会は何のために存在するのだろうか?もし個人が複雑な機械の部品なら、部品が役に立つかどうかではなく、その機械が何のために存在するのかが問われねばならない。
かつて多くの犠牲のもとで築かれた満州国では満州国を守るためにその数百倍・数千倍の犠牲が正当化された。社会という幻想は「現実を食い殺すサトゥルヌス」のようなものかも知れない。
共同幻想のために貢献することはその共同幻想がそれなりに正しければ有益だが間違った共同幻想に貢献するなら有害だ。