俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

役に立つこと

2008-07-09 19:37:50 | Weblog
 社会の役に立つことで自分に価値を見出す人が決して少なくない。自分は社会の役に立っているのだから立派な人間だという理屈だ。
 しかし皆が社会の役に立つために生きるなら社会は何のために存在するのだろうか?もし個人が複雑な機械の部品なら、部品が役に立つかどうかではなく、その機械が何のために存在するのかが問われねばならない。
 かつて多くの犠牲のもとで築かれた満州国では満州国を守るためにその数百倍・数千倍の犠牲が正当化された。社会という幻想は「現実を食い殺すサトゥルヌス」のようなものかも知れない。
 共同幻想のために貢献することはその共同幻想がそれなりに正しければ有益だが間違った共同幻想に貢献するなら有害だ。

ローカルフード

2008-07-09 19:29:22 | Weblog
 冷めた飯に生魚を乗っけてローカルソースとローカルスパイスで味付けしてむさ苦しい男が手で握る料理、こんな料理が日本以外のどこかの国の民族料理として定着していても到底食べる気にはなれない。
 勿論これは寿司の話だ。西洋人から見ればアジアの東の果ての辺境の地のこんな料理など食中毒を起こして当然だと思えるだろう。
 日本人は清潔好きな民族だから寿司による食中毒は余り聞かないが、魚の鮮度管理や調理人の衛生管理が不充分な地域ではいつ集団食中毒が発生しても不思議でない。
 冷蔵技術は向上したので鮮度管理はさほど難しくない。しかし調理人の衛生管理意識を高めることは決して易しくない。寿司が世界中に普及することは決して簡単ではない。

サンマの食べ方

2008-07-09 19:19:25 | Weblog
 私のサンマの食べ方は少々変わっている。尻尾から丸ごとかじって頭しか残さない。いつ頃からこんな食べ方を始めたのか記憶に無い。子供のころは骨やハラワタだけでなく皮まで食べ残していた。もしかしたら漫画の「ドカベン」の岩鬼正美の骨までバリバリ食べる食べ方に影響を受けたのかも知れない。
 私の本音としては生命を犠牲にするなら極力無駄にしたくないという思いがある。食べ残せばゴミにしかならない。
 生命や資源を大切にしたいと思うなら食べ残しなど絶対にすべきでない。こんな観点から私の変な食べ方は生まれたのだろう。
 しかし客の食べ残した料理を「使い回し」ても良いと言うつもりは全く無い。

ブランド食品

2008-07-09 19:10:33 | Weblog
 日本人のブランド好きを私は苦々しく思っている。その商品が良いか悪いかは自分で判断すべきことだ。見れば分かるし使ってみれば一層よく分かる。
 自分の判断よりも世間での評価を優先するような姿勢ではマスコミの奴隷になってしまう。童話の「裸の王様」と同じだ。
 食品の有害物質の有無を素人が直感的に感知することは不可能でも、少なくとも旨いか不味いかぐらいなら誰でも判断できる。なぜ自分の味覚よりマスコミの評価を重視するのだろう。
 産地を偽装する業者は勿論悪い。しかし騙されたほうは恥ずかしい。価値に見合わない商品を高く買っていたのだから。それよりは安物を安物と知って買うほうがずっと利口だ。
 味覚は人によって違うと私は信じている。自分の味覚に合った食べ物は自分で見つけるべきだろう。