俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

プロポーション

2008-07-22 18:21:58 | Weblog
 頭の大きさが一定なら背が高いほどプロポーションが良いことになる。八頭身美人は殆どが長身だ。
 芸能人の中には明らかに頭の小さい人がいる。小泉今日子さんなどは小柄だが頭が並外れて小さいので長身の人に近いプロポーションになっている。
 ところで頭が小さいとは脳容積が小さいことを意味する。脳容積が小さければ脳の重さも少ないだろう。つまり頭が悪いということ・・・?
 実は脳が一番大きい動物は鯨だ。だからと言って鯨が人間より賢い訳ではない。賢さを決めるのは総体重に占める脳重量だ。
 かつて頭でっかちでチビでチンチクリンだった日本人はもしかしたら最も賢い民族だったのではないだろうか。頭が小さく手足が長くなった新・日本人は「美」へ向かって進化した結果、実は退化したのではないかと思えてならない。

ショルダーブロック

2008-07-22 18:12:41 | Weblog
 混雑する駅構内で私は左端を歩くことが多い。混んだ駅構内では私は右肩を前にして半身で歩く。これが自分を守るベストの姿勢だと思っている。
 電車から吐き出された乗客は1塊となって動き逆方向へ進む者を押し退けようとする。1塊となった乗客は多数者だ。少数者を押し退けることを当然と考える。実際には降りる客は常に乗る客と同数だ。しかし1群となることによって一時的に多数者となる。
 右肩を前に出すメリットは2つある。
 ①半身に構えることによって横幅を狭くできるので相対的に通路が広がる。ごく一部の例外を除いて人間は縦幅より横幅のほうが広い。
 ②肩は上半身で最も頑丈な場所なのでぶつかられても痛くない。サッカーのショルダーチャージに限らず体当たりでも使う。ボクシングには相手のパンチを肩で受けるショルダーブロックという技がある。
 こんな技術を身につけねばならないのは情けないことだ。

梅雨と鬱病

2008-07-22 17:59:58 | Weblog
 梅雨時には雨が続く。と言うより、気圧配置の都合で停滞前線が日本列島に居座る状態を「梅雨」と呼んでいる。
 名前が付けられると何となく分かった気になる。梅雨だから雨が続いても当然だと感じる。しかし梅雨は曖昧な概念だ。雨が続くから梅雨なのか梅雨だから雨が続くのかかなりいい加減だ。例えば今年の近畿地方の梅雨はいつ明けたのかさえよく分からない。停滞前線が掛からなくなってからしばらく経ってから梅雨明け宣言がされた。
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 鬱状態が続くと鬱病と診断される。鬱状態が続いていることに対して鬱病と名付けられただけであって原因が特定された訳ではない。同じ鬱病でも原因や治療方法は千差万別でありとても同じ病気とは思えない。
 名前を付けただけで分かった気になっているだけで実際には何も分かっていない。様々な精神病者を狂人と名付けたところで何も解決されないのと同じことだ。

本音の抑圧

2008-07-22 17:48:54 | Weblog
 「欲望のままに生きよ」などと言うつもりは全く無い。しかし好ましくない欲望の存在に対しては正直であるべきだ。
 個人とは様々な感情や欲望が自己主張をする戦場のようなものだ。(6月4日付け「自我の不統一」参照)
 倫理的に好ましくない感情は誰にでも存在する。「あいつは許せない」とか「あの女性に触りたい」とか「怠けたい」とかいった感情は自然なものだ。
 「自然な感情だから肯定されるべきだ」などとは言わない。そういう困った感情が存在することを事実として認めるべきだということだ。
 「あの女性に触りたい」という欲望と同時に「触られたら彼女は不快だろう」ということは誰でも感じる。両者を秤に掛けて後者が勝つ。これが正常な感覚だ。
 「触りたい」という欲望が無かった訳ではない。その欲望を抑える別の感情が勝っただけだ。そんな迷惑な欲望が存在したことを頭から否定すれば彼は事実に基づかずに生きることになる。「事実を拒否する」という不誠実な姿勢が彼を神経症へと導く。
 人間は天使でも悪魔でもない。無理やり天使になろうとすれば豚にまで堕落する。