俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

男女の衣服

2008-07-29 16:06:57 | Weblog
 衣服は権力者が決めるなどと言えば、「そんな馬鹿な!自分達が着たい服を着ている」と反論されそうだが、そう思えてならない。
 権力者の多くは年老いた男だ。彼らは自らの醜い体型を誤魔化すために背広を着用し若年層にもそれを強制する。背広を着せれば肉体の格差は最小限になる。
 一方、女の服は女性美を強調する方向に特化している。これが美しい女性が自己の美を主張するためなのか、権力者が「品定め」し易くするためなのか意見が分かれるだろう。実際には両方の要素のバランスにより成立しているのだろうが、私は後者の要素がかなり大きいと思っている。

サッポロビール

2008-07-29 15:59:43 | Weblog
 サッポロビールがビール系飲料売上高でサントリーに抜かれて4位に落ちた。これは落ちるべくして落ちたと私は思っている。
 アサヒのスーパードライをきっかけにして各社の激烈な競争が生じその結果として日本のビールは格段に旨くなった。その蚊帳の外にいるのがサッポロビールだ。
 主力の黒ラベルとエビスビールは昔のままだ。他社のビールが旨くなった分相対的に不味くなった。
 第3のビールの先駆けとなったドラフトワンはビール嫌いのためのビール系飲料だ。ビール好きには不味くて飲めない代物だ。今頃になって「麦とホップ」を出して「ビールと間違った」などと言っても白々しいだけだ。サッポロビールの「最も不味いビール」メーカーの汚名は消えない。
 この会社は滅びるのではないだろうか。かつての「大日本ビール」の縁でアサヒビールが吸収合併するのではないだろうか。

お粥とお茶漬け

2008-07-29 15:50:32 | Weblog
 永谷園は「朝からお茶漬け」などと言ってお茶漬けの拡販を図っている。
 個人的にはお茶漬けが好きだが、これは決して良い食生活とは言えない。
 お粥は米を煮込んで文字通り「粥状」にしたもので昔のシャボン玉ホリデーの「おとっつぁん、お粥ができたわよ」のように咀嚼力・嚥下力の衰えた病人の食事にふさわしいものだ。米を煮込んでシンが無くなっているので咀嚼力・嚥下力の乏しい病人や老人にも容易に消化・吸収できる「胃に優しい」食べ物だ。
 お茶漬けは全然違う。じっくり咀嚼すべきご飯を水分で流し込んでいるだけだ。消化・吸収されにくいのでダイエット効果があるかも知れないが、昨今の食品価格高騰の折り、食資源の無駄遣いとなるお茶漬けが好ましいとは思えない。

主観的重量

2008-07-29 15:39:48 | Weblog
 「綿100gと鉄100gとどちらが重い?」ということについては小学校で習った。答えは「どちらも同じ」ということだった。しかし本当にそうだろうか。秤に乗せればどちらも同じ重量を示す。しかしそれはあくまで秤の上での事実であって、人間は鉄のほうが重く感じるのではないだろうか。
 初めて100gの純金インゴットを持った時にはその重さに驚いた。接触面積の小さい物ほど面積当たりの重量は重くなる。これが人間の感じる重さではないだろうか。
 変な例だがカミソリや針は少しの力で人を傷付けることができる。綿をぶつけられても痛くないが鉄なら痛い。人間の感じる重さはこれと同じようなものではないだろうか。
 バックパッキングやリュックサックの重さが同じでも背中寄りに重い物を集めれば主観的重量は軽くなる。このことが物理的には「力のモーメント」で説明できるように、面積当たりの重量から主観的重量が説明できないだろうか。
 秤で表示される重量だけが正しい重量ではない。