俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

事実と価値(3)

2008-07-16 19:51:33 | Weblog
 「適者生存が世界の法則だから人間社会もそうあるべきだ」という考え方がある。しかし適者生存が事実であっても人間がそれに従う必要は無い。
 人間は自然に従属するだけではなく自然法則に逆らい得る唯一の動物だ。
 例えば自然界にはトイレは無い。しかし個々に独立したあらゆる文明で人間はトイレを作った。
 強者が権力を持ち過ぎないようにすることや弱者が社会から排除されないようにすることは自然状態ではない。反自然で人為的な、言い換えれば理性的な措置だ。

日光浴

2008-07-16 19:34:11 | Weblog
 陽の光を浴びると元気になる。人類はもともと平原に住む猿だから光を浴びることによってメリットを受けるように進化したのだろう。光を浴びると死んでしまうミミズやモグラとは違う。
 紫外線有害説を唱える人は日焼け嫌いにつけ込んだ詐欺師のようなものだ。美白と健康は別の話だ。(スリムをヘルシーと呼ぶことにも同じレトリックを感じる。)健康的な浅黒さを否定して日焼け止めの売り上げを増やして金儲けをしている。
 紫外線を浴びればガンの発症率が減る。この事実を隠して日本人には殆ど発症しない皮膚ガンの発症率が高まることだけを根拠に紫外線の有害性を主張する連中は正に曲学阿世の輩と言える。彼らが日本人を世界一日光を怖がる民族に変えてしまった。

オンリーワン

2008-07-16 19:17:08 | Weblog
 個々の個体は総て異なった特徴を持つ。工業製品以外では同じ物はあり得ない。工業製品でさえ厳密には同じ品ではない。
 個々の個体は唯一無二だ。このことが事実であっても唯一無二だから尊いという結論には至らない。このことは各家庭から出されるゴミが総て異なっているからという理由で総てのゴミが尊いということにはならないということを考えれば明らかだ。
 個々が異なるという事実を個々が価値を持つという主張に捻じ曲げるのは詭弁でしかない。

平等という嘘

2008-07-16 19:11:35 | Weblog
 「平等」という概念は事実を歪めて強調されることが多い。
 人間には個体差がある。背の高低や知能の違いや美醜の差など人それぞれが異なる。この個体差を無視して「同じ人間だから違いは無い」と主張することは事実に背く。事実に基づかないから変な理想が設定される。
 能力が不平等であるにも関わらず結果の平等(報酬の平等)を実現するためには下手な絵や下手くそな歌にも金を払わねばならない。あるいは勤労意欲が乏しい人には1時間の労働に対して1日分の賃金を払わねばならない。勤労意欲も1つの能力でありその能力の乏しい人に普通の人並みの労働を強いることはできない。
 こんな不合理に対して数少ない社会主義国家のキューバでさえ「怠け者が働き者を食い物にする」として見直されることになった。
 個々の個体が異なるという事実に基づいた上で競争上の弱者の権限をどうやって守るかが検討されねばならない。個々の差異を認めなければ弱者に対する援助が逆差別になってしまう。
 結果の平等を実現するためには「不公平」が必要とされるのだから、この際、平等と公平のどちらが重要かを検討しても良かろう。